#585

それぞれの思い出・冬 2005-a


ゲームのプレイ日記 今日の出来事 独り言 自分


今回の帰省は4泊5日というかなり大規模なものになった。
今日帰ってきてみて、楽しむというより次に繋げる為の帰省のような気がした。
12人に面識や馴染みがあったとしても、それはいつか消えていく。
事実今回の帰省は、僕は数人と喋る機会が無かった。
年を重ねれば子供らしさも失ってくるし、
すれ違っても何も言わないのが当然というのもいつか来る。

――雪だるまというものは虚しい物で、必ずいつか消えてしまう。
それを承知しているのに4時間も5時間も掛けて大きな雪だるまを作った記憶がある。
あの頃は、全員で一致団結して作ったものだと、よく覚えている。
親戚関係も所詮それと同じようなものだと思うとなんだか切ない。
それでも会う時の為の努力は惜しまない。別れる時を承知して。
いや、場合によっては“溶けない雪だるま”になる可能性もあるし、
そういうことを祈りつつ、毎回の帰省を過ごしている。

出発は30日。前日あまり意味もなく徹夜でおい森をしていたので、
この日は0時就寝にかかわらず出発寸前まで爆睡していた。
起きたばかりである事を配慮して入念に持っていく物をチェック。
・・といっても殆どゲームなのだが。ここら辺が悲しいところだ。
着替え等生活品も用意して、12時に出発した。
途中のサービスエリアでラーメンを食べて再度出発。
高速を走る車で音楽を聴き待つこと約1時間半。祖父母の家に到着した。

前回の帰省の日記でも書いたような気がするが、
祖父母の孫に当たる12人のうち、僕の家族を除けば男子は2人しかいない。
しかもその内の1人はまだ年端のいかない7歳であるので、
帰省のコミュニケーションはもう一人の男子とが主になる。
今回に至っては女子5人とほとんど喋ることすらなかった。
到着したら従弟がいたので、早速「」をプレイ。
従弟も持っているので、見知らぬ村へ“おでかけ”するのが目的だ。
これがこのゲームの趣旨だったり、面白いところだったりする。
従弟が被っていた“ツタンカーメン”に呪いが憑いていることに
おい森ユーザー(弟2人を足して全4人)全員が驚かされた。
しかも装備するといきなり転んだりしてこれもまたびっくりする。

従弟が「はにわって何の為にあるの?」と聞いてくるので、
部屋の音楽コーディネートに使うと答えたら、でもどれもいい物がない、と。
50個近くはあったであろうそのはにわ、
実は僕や弟にとっては喉から手が出るほど貴重なものがずらりと並んでいた。
そこでさっそくチャット機能を使ってのオークションを開始。
このゲームは現実ほど苦労して貯めるお金ではないので、
こう言う時こそバカみたいに使うのが一番だ。
・・・と、弟もそれを理解していたようで、オークションは壮絶となった。
開始値1000ベル。なのに落札最高額はなんと85000ベル。
僕は目的のものをいくつか取ることができたが、
本命はにわのひとつ「ナミカララはにわ」は弟のその額に圧倒され、買えなかった。

6時になると夕食。帰省中の夕食は普段に比べると2時間早い。
しかし明日のことも配慮しているのか、かなり質素な物だった。
夕食後は従弟が「マリオカートDS」を買ったらしいのでそれをやることに。
先程も書いたが従弟といっても高1と小1の2人なのだが、両者とも持っていた。
早速やってみるとかなり本格性があって熱い対戦が盛り上がった。
僕はこの日は負け越しだったが、今はそう簡単にビリを取ることはないと思う。
というより、購入を一時期考えたほど面白かった。

いつの間にか時計は1時。もう大晦日になっている。
すると突然酔い果てた祖父が入ってきて、
「お前等カラオケやんないの?何か歌ってよ何か」
カラオケセットのある男子部屋のソファを占領した。
「じゃあお前等何か知ってる曲掛けてよおじいちゃん歌ってやるから」
と、自分がセットを操作できないことを棚に上げて任せようとしてくる。
その場はとりあえず“こっちも操作できない”事にしておき、やり過ごした。
やり過ごしはしたのだが、あろう事か祖父がそのソファで寝始めた。
しばらくすると従弟が寝て、僕と弟2人だけになる。
しかし騒いで起きてもらわれるとかなり厄介なので、
祖父が起きてから物を踏まれないようにある程度部屋片づけてから、階下の寝室へ。

そこはみんなが寝ているはずなのに電気がついていた。
こたつ(といってもストーブの温風をパイプでこたつの中に送り込むもの)に潜り込み、
みんなが寝ていてほとんどスペースのないここで寝るか、
しばらくしたらもう一度2階へ行っていないことを確かめるかを話し合う。
やがてまとまって、ここで寝ることにした。ストーブを止めてパイプを退かす。
弟はすぐ寝たのだが、僕は大晦日の今日や明日の事を考えると眠れなかった。
ここで寝ておかなければ到底初日の出は見られないだろうと思っていたのに、
何故か眠れない。早起き人数名が起きたところで、
その輪に加わって「女王の教室」をみていた。

昼食は確か無しだったような気がする。僕を初め数名が昼寝(といっても1時間)をし、
起きてからも特に変わったことは無く、昨日と同じように過ごした。
ただ印象深かったのは、「今年もあと数時間か・・」を何度も呟いたこと。
夕食は一番豪華なものだった。年越しソバはまだ食べていない。
そしてやがてカウントダウンの単位が狭まってくる。
おい森内でも一日中カウントダウンがされており、現実でもその実感を得ざるをえない。

ところが、その期待感は半時間失うことになる。
その頃は第3回ゲーム大会の勝負項目「キャッチ!タッチ!ヨッシー!」の
バトルモードを参加者で進めていた最中だった。
突然階下が騒がしくなり、それはやがて男子部屋にも届く。
あろう事か、近くの神社へ年越しの為の鐘を突きに行くというらしい。
しかも強制参加。僕の父が勝手にそれを予約していたらしい。
そのためにいつもは飲みまくっている親がこの時まで控え、
全員の為に車を走らせるという珍しく父が酒を背けてまで用意したイベントだが、
僕はもちろん、男子全員が反対する。
僕等は“此処で”、年を越す為に此処に来たのだと。
そう言うことの訴えは呆れと共に受け入れられることになった。
鐘を突くのは結構だが、2006年になる瞬間車の中は絶対に避けたい。
「へっ、これで“晴れて”男子全員悪党扱いか」
と弟がぼやいたが、確かにそう思われたのかもしれない。
なんだか少数でストライキしているような気がして、心が痛んだ。
これが男女間、大人子供間の性別以外の隔たりを作った原因なのかもしれない。
しばらくの沈黙が過ぎたが、数分後に黙っていても仕方ないので盛りあがりを取り戻す。
しかし僕はこの判断が間違っていなかったと思っている。今でも。
この後の“事実”も然りだが、年明けの貴重な瞬間を思いのまま過ごすのは、
それはそれぞれの自由にゆだねられているのではないかと考えているから。
多少自己中な意見かもしれないが・・。
そして重要なのがその事実。鐘突き班が帰ってきたのは、23時59分30秒だった。
もしも僕等が行っていたら、クラッカーもおい森もテレビも準備しきれなかっただろう。
その時僕はおい森内でのカウントダウン限定のBGMを聴き、
主人公に100個貰ったクラッカーのうち1個を手に持たせていた。
テレビの方でも15秒前になるとカウントダウンが始まった。
鐘突きに行っていた女子も入ってきて、金切り声で2005年最後を秒読みする。
おい森内では少し時間がずれていて、59分57秒に年を開けてしまった。
その秒間だけ僕はそっちのクラッカーを鳴らし、
さらにその後。

――大歓声と共に、2006年が始まった。2005年が遂に終わった。

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