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高校生の思い出 #a


今日の出来事 独り言 自分


今、高校生という3年間を終える。
短かった。物足りないくらい短かった。
そして、中学時代よりも、手にとって計りきれないほど成長できたと、自覚している。

僕は人が成長できるのは、奇跡の上であると思っている。
人がひとつの個性や実力、経験をまとっていくには、何かしらの偶然が必要であって、
その“何かしら”が結局人生を左右するものだ。
僕にとっては、それが高校生活だった気がする。

今の自分の形成は2003年夏から始まった。
当時4人組で、喋り合ったり時には誰かの家に遊びに行ったりという日々を過ごしていた。
その内の1人だったわけだが、そこには楽しさがあっても心底は何も楽しくなかった。
4人はまとめて、それ以外のクラスメイトから隔離されていたからだ。
その理由は、分かる人には分かると思う。僕は“そういう”人間だった。
脱出したいと試みたが、手遅れで、あっという間に中学卒業式を迎えた。
クラスという単位での楽しかった思い出は何一つない3年間だった。
当時、現在の前のブログで卒業式に色々語ってみたが、今思えばそれは恥さらしに違いない。

現在の高校に試験を受けに行って、合格する。
1年生となるが、やはり不安の連続だった。しかし体育祭頃、C君と会話をすることで、
次第に5人前後のグループに入る事ができた。外から何か言われる事はなかった。
C君が言うには、僕は最初とても暗い人間だったという。
人見知りの激しい自分が、友人を作るという壁にぶち当たって途方に暮れていた。
――それは、他人から見ればうつむいている暗い人間に他ならなかったのだ。

そこそこ友人関係の定着を見せ始める頃に、このブログを開設した。
移転当時、流石にこの時はこれがサイトではなくブログであることを知っていた為、
ブログとして、C君他数名に紹介してみた。
ある出来事をきっかけに、担任のK先生に紹介したのは、開設から僅か1ヶ月の頃だ。
単なる、生徒が先生にブログを見せるという風景は、今でこそよくあるのかもしれないが、
僕にとってはこれが現在の自分を作る為の大きな作用となった。

当時、僕はブログにカテゴリ増設、
日記の多岐化という単純な目的で“詩”というものを公開していた。
単純に文章を調子よく書けばいい、と、経験も何も無しに書いていたところ、
8作目の「雲の詩」を見た先生がそれを見てかなり褒めてくれた。
先生が国語科の担当ということもあって、その説得力は強かった。
担任は今も担任だが、クラス内での評判は比較的よくない
(他の先生から見ればまだいいという声もあるが)。
しかし僕は心の底で密かに、K先生には凄く感謝している。
あの時褒めてくれなかったら、僕は文学科に進もうというたった一つの決心さえ浮かばず、
おそらく名もないような大学の、何を学ぶのかも分からない学科に進んでいたと思う。
後にラジオ番組に26作目の「さざなみの詩」を投稿して最優秀賞をもらったのも、
僕がこの道に進もうという気持ちのバネとなり、支えとなった。

2年生になり、クラスも変わる。1年の時と同じ人は男女合わせて9人もいたが、
その中で1年時のグループでよく喋っていたのは
クラシックギタリストことT君の1名のみだった。
彼だけが2年1学期の僕にとってたった一人の支えだった。
数日経つと、マジシャンのたまごことS君とよく話すようになる。
そしてめろんパンことM君という自分以外に初めて見る詩人
(ただし実際は詩人ではなく彼の場合は作詞家)との出会いなど、
体育祭の時には今話す人と大体対面していたと思う。
そういえば豊かすぎる個性で3年終わり間際までいじられることになる、
Do君の存在を知ったのもこの頃だ。
彼はこの頃から既に色々なあだ名が付き、いいようにいじられていた。
しかしこれが逆にクラス全体を明るくするに至り、
そのことにほのかな感謝を抱いているのは、
僕だけだろうか。(ただ、3年終わりになると笑いも薄くなり深刻化してしまったが・・)

2年の2学期頃になると、僕はこのクラスなら大丈夫だろうと、
学校にゲームを持っていき始めた。これが大当たりで、
特に「マリオ2」は順番待ちになるほど人気になったことは何度も書いた気がする。
ともかく僕はこれで、自分の趣味を開くという賭けに成功した。
規模はどんどん膨らんでいった。
2006年になるとT君を始め自分以外にもゲームを持ってくる人が増え、
放課後に通信対戦という高校生としてあるまじき行為に走ったことは、
今はいい(ある意味悪い)思い出だ。
2年の時の数学の時間は、
先生が不真面目な人であった為、一部では“ゲームの時間”だった。
3年では家庭科の時間が同様の扱いとなる。こんな事をしている僕を退けることなく、
むしろ近づいてきてくれた人達には、本当に感謝している。
一時的にやらせてみた、という事を含めば、おそらく10人には達すると思う。
そういえば“マリオ2時代”の少し後に女子にも貸して欲しいと言われた記憶もある。
2006年にゲームというものがあんなにも脚光を浴びなければ、
こんなことは無かっただろう。

少し時間を学校行事まで戻す。
学校行事といえば、ここまでに何度か書いている体育祭、
そしてドミノとたこ焼き屋をした文化祭、
スキー合宿、修学旅行といろいろあるが、学校の方針で規則ががんじがらめだったため、
文化祭以外はあまりいい思い出ではない。別に悪いと言うわけでも無いが。
最初、体育祭はほぼ記憶に無く(タイヤ引きというのをしたような・・)、次の文化祭はドミノ倒しをした。
これはブログ移転直後にあった事なのでかろうじて日記として残っているが、
要は最初僕は当時まだ中学生時代のクラスというものの後遺症があったため、
とことんクラス企画に関しては非協力的だった。しかしそこをK先生になだめられ、
準備最終日は当時では考えられない、18時まで残って作業を手伝うということもした。
何度も倒してしまったし、当日自分の立てた所で一カ所ミスになってしまったが、
ドミノ倒し自体はそこそこ成功に終わった。
クラス企画の優秀賞に選ばれるなど、観覧者からの評判もよかった。

スキー合宿は、自分というものの脆さを知った2日間だった。
何度も転び、何度も立ち上がってはまた転ぶ。不甲斐ない自分を呪い、
どうせなら骨折してでも止めてしまえとヤケになっていた。思い切り前から転倒してみたが、
少し捻っただけで足はなんとも無かった。そんな自分が思いきり嫌いになった。
そこに、1年時のクラス内でよく喋っていたわけでもないクラスメイトに
優しく声を掛けられた時、どうしようもなく涙が止まらなかったのは、
中学時代の傷跡に触れてしまったからかもしれない。
自分がこんなに優しく扱われるなどという感覚をここで初めて思い知った。
自分の脆さを知った。
C君には「スキー合宿ん時に泣いたんだよコイツ」などと笑い話にされ、
恥ずかしい思いをしているが、あれが自分にとってのひとつの成長だったと、今は思う。

しかしやはり一番学校行事で心に残ったのは、3年の文化祭だった。
誰かの気まぐれな発言で
「たこ焼き屋」と「ぽっぽ焼き屋」と「かき氷屋」の3つを同時に行う事にした。
(ぽっぽ焼きは新潟のみで昔から祭りなどでよく並ぶお菓子の事)
教室内に屋台を設置し、照明を付けて本格的に“お祭り”っぽくする。
屋台設置の外装班、各種食べ物を作る調理班、
他会計やチケット作成役など、大がかりな計画が始まった。
21時まで残ったり、午前5時に登校したりと前代未聞の規模で準備を行い、
文化祭開始の寸前の寸前で完成。
売り上げは合計7万と、予想を遙かに上回る売り上げだったが
準備の為の出費はそれを上回る11万。この額は学校内最高額だったらしい。
40人苦辛の末の屋台運営だったが、
受賞は同じ事をした他のクラスに負け、入賞は無しに終わった。
後の話によれば、屋台という外装は間違いなく勝っていても、
調理班の少なさが原因して肝心の売り物の質が落ち気味だったのが客に不評だったと言う。

文化祭を終えた後は、受験まっしぐら・・のハズが、
11月頃まではクラス全体が集中しきれていなかった。
この頃の「ポケモン」による2度の敗戦によって、
敗者である僕やタッグだった戦国通ことK君を始め
突如として学校にゲームを持っていくということが断絶された。
当時は入試クラスと、すでに合格を決めた内定クラスに分かれ、僕は前者だったため、
後者に属する人達と話す機会はどんどん少なくなっていった。
騒ぐことが全てのようなクラスが無理矢理分かれることで、初めて孤独に立った。
この瞬間から全力で勉強すればよかったものを、慣れないクラスや勉強に立ちふさがり、
受験勉強開始はポケモン、秋風邪、
そしてこの不慣れなクラス分裂と3度の壁をようやく越えた2007年1月だった。
結果は模試偏差値より11高い第1志望は結局落ち、
それより5低い金沢のある大学に決まった。

そして長期休暇の真ん中。今日卒業式を迎えた。

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高校生の思い出 #a” へのコメントが 4 点あります

  1. あの時は木っ端ちゃっぴーさんの気持ちも考えず、
    大変失礼な事をしてしまい、大変申し訳ありませんでした。今後、この様な事がないように気をつけたいと思います。
    てか、まじでごめんな

  2. 別に今はもういいですよ。
    というか、あの後休憩室で
    (真面目顔で引かれたら、嫌われたらどうしよ・・)
    とか思ってました。
    笑われた程度で済んだならいい方だと思っています。
    それはともかく、1年の時はお世話になりましたー。
    打ち上げ、断ってごめんなさい・・。

  3. 打ち上げはちゃっぴーさんと予定が合わなかっただけでみんな気にしてないです。真面目顔で引いたというか、言った後すぐに「とんでもない事言っちゃった。」とか思って固まってただけです。しつこいかもしれないかも本当にごめんな。あと、これ携帯から書いてるんで文章が変になってるかも・・・

  4. まぁすべては自分がもうちょっとスキーできればいい話だったんですけどね・・。
    それに本文にもあるように、
    スキーが下手だった、それをなぐさめられ、涙して、そのことを笑われた、
    とこの一連の出来事が連なって成長に繋がったと思うので、
    c君にはむしろ感謝しないといけない立場だと考えています。
    未熟な自分がすべて悪いんですよね。
    こちらこそあの時は迷惑かけてスミマセンでした・・。

    (てか、こんな口調で話す間柄じゃないよね・・)

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