#1539

6月12日の結論


独り言 自分


“恋愛”とは、何なのか?
こんな身分でも、そういうことを考えた時期があった。

何のことはない、結論は、子孫を残すため――家族を築くため――
自分の生涯パートナーとなる人物を探すため、つまり本能的なものだ。

高校までの自分は、恋愛は“鏡”だと思っていた(ある意味今もそうだが)。
つまり、相手を見るだけじゃなく自分も相手相応の人間にならないと恋愛する資格がない。
人間は誰しもその場所においてある程度段差的な足場を踏んでいる。
自分はお世辞にも人間性としてランクが上とは考えにくい、
だから遠くはるかにいる彼女に手を出す資格がない、そう考えていた。
小学時代、中学時代、高校時代と、その時の自分が言う“好き”になった女の子はみんな
クラスで一番か二番目くらいのアイドル的な地位の人だった。
自分以外の人間からこういう話を聞いたことがないが、
割とありがちな話なんじゃないかと思う。

しかしそういう感情が冷めた今よく考えてみれば、
それはより良い種を残すための本能的な行動でしかない。
現実にいながら、現実を見ていなかったということだ。
人間本能に振り回されていたということだ。
“好き”になった人達と自分が並ぶ所を冷静に想像すると、滑稽ですらある。

だが、だから自分には恋愛資格がないという結論を出したわけではない。
これも簡単な話で、恋愛対象となる相手を探すとき、
“自分”というフィルターを通した目で見ればいいだけのことだったのだ。
自分はそういう経験はないが、芸能人や歌手などを本気で好きになる人だっているだろう。
自分の場合はそれがクラスのアイドルに目を向けたわけだが、
これらをはたして恋愛などと言うことはできるのだろうか・・?

2004年6月12日。
中学校を卒業してある程度の時間が立っていたその日、
突如として中学時代の片思いの相手が夢に出てきた。
相手は現実とは性格が打って変っていて、つまりは自分に都合のいい女の子で、
目覚めたあと、何で今更こんな夢を見たんだろうと考えた。
これが、自分が今まで初恋と称していた、遠距離片思いの始まりだった。

それからの自分にとっては、6月12日はとても特別な意味合いを持つ日になった。
あれからしばらくは毎日がすごく楽しみだったような記憶もある。
またあの夢を見ることを願って、毎月12日はとても慎重に、有意義に過ごそうとした。
そしてそれはいろいろな場面で、恋愛以外のことに熱を燃やすことになる。
ブログのトップ更新を2007年2月12日にしたのも、
詩の掲載日に12日が多いのも、嵐を理由にして携帯購入日を3月12日にしたのも、
なんとか12日に掲載しようと今日までこうして動画制作を頑張ってきたのも、
すべての根源はそのただ一回の夢にある。
これだけは、今も変わらない。自分にとって毎月12日は“何かが違う日”だ。

しかし、一昨年頃から気がつき始めた。
それは趣味を通して、初恋記念日に努力している自分の目には、
もう夢のことなど片時も見ていないということに。
12日という日付にある記念日の意味を失ってもなおその日には何か贅沢をする。
いつしか、熱意のまなざしは“12日”という日付自体に向けられていた。
自分が経験してきた恋愛など、もうとっくに終局していたのだった。

僕にとって恋愛とは、恋愛以外の何かに熱をこもらせる“魔法”だ。
あのしょうもない片思いが、実に多くのものを生む結果になった。
これはある意味では、自分にとって大きな収穫だったんじゃないかと思う。
恋愛と日付が完全に分離した以上、その熱が絶えるのはもう時間の問題かもしれないが、
それまでは何かと12日に頑張れる自分がいる。
恋愛以外のことに熱をあげて自分を磨いてからでも、本物の恋愛は遅くない。
本音を持って今はそう言える。
もし恋愛をすることになったら、その時は自分と同じ背丈の人を探しているだろう。
“成り立つ可能性のある”恋がもし訪れたら、
それを本物の初恋と呼ぶことにしようと思っている。

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