#1707

続・大学ぼっちの憂鬱


今日の出来事 自分


今これを書いている時点では、実はそこまで暗い気持ちにはなっていなかったりする。
まだ1回目の課題も提出していないが、
今回のことがとても屈辱的で情けないことだったのにも関わらず、
じゃあやけくそになろう、という気持ちに至っていないのは、
ペア授業をするような片言外国人講師が相手とはいえ、
色々と心の内を面と向かって話せたからかもしれない。
そう考えると、悩みというものは結構どうでもいい相手でも、
うなずいたり相手の意見を言ってくれるだけで和らぐものなのかもしれない。

相も変わらずペアを組んで発声練習する中相手がいない自分。
自分のような人間が学科内にいないわけでもないが、
残念ながら双方とも、緊急的にペアを組んでみるには至らなかったし、
先生もそれを見てそうさせようとは思わなかったらしい。
先生いわく、それほどまでに自分は対外関係を嫌っていそうな空気を出しているらしい。
・・もちろん、真正面からそれを自分に言ったわけではないが。

この日は最後までうつぶせていたわけでもなく、
前回言われた通り、2人でやるところを1人でこなして淡々と終わらせるつもりだった。
しかし、発表が終わった人から解散のシステムの中、
何故かどうしても
他の“普通の人たち”よりも先に事を済ませて帰ろうという気になれなかった。
僕は発表はいつも、ほとんどの人が帰った最後の段階を選んでいた。
それで、先生も自分のことを呼び止めやすい存在として見ていたのかもしれない。
とにかくも、この日もまた、外国人講師に悩みを打ち明ける放課後になってしまった。

残念ながら前回のように帰宅後すぐ筆を起こしたわけではないので、
細かなセリフはほとんど忘れてしまった。
とりあえず、自分に言わせれば若干的外れな、どうしてこの大学に来たのか?
という質問から長い対話は始まった。僕は正直に答えた。
高校は進学校でもあり、大学進学するのが当たり前だと当時思っていたこと、
消去法的な考えでこの学部を選んだこと、それ自体にネガティブな考えはなかったこと、
しかしこの大学のふたを開けてみると思っていたものとは全然違ったこと、云々。
「あなたがこの大学で充実していないと思ったら、他の大学にするというのはどうですか」
その外国人講師は自分の話を一通り聞き終わったあと、こういった。
正直言って、自分のことを何も考えていないんじゃないかという憤慨も抱いたが、
「それを2年のこの時期から考えるのは厳しいんじゃないですか」
と他人事のように否定しておいた。
「それじゃあ、どうですか、何か考えはありますか」
結局この講師は、英語の講義を真面目に取り組んで欲しいと言いたかったんだろう。
自分も話が跳躍しすぎていると思ったので、一気に英語の話に持ち込んだ。

この時は少し嘘をついた。
「正直言って、この大学は自分にとってあまりいいところじゃないと言いましたけど、
専攻科目の一部なんかは、好きな分野ってこともあって、いい授業もあるんですよ。
ただ、この授業がペア強制なのについていけないという話なんですよ。
早い話がこの授業がペア強制じゃなければ大学生活も充実するかもしれないっていう・・」
「では、あなたはこの授業をどうすればいいと思いますか」
「他の先生の授業と同じように
ペア授業じゃなくて先生中心の授業にすればいいんじゃないですか」
「しかし、私は、英語はスポーツのようなものだと思っています。
サッカー選手がサッカーの練習をせずにうまくはなりません。
英語もペアを作って英会話をしないと上達しないと私は考えています」
「確かにそうだと思います」

実に水掛け論が展開されているそのさなかに、大学の清掃員がやってきた。
僕たちは隣の寒い講義室に移動することになった。
その講義室で話し合い始めて少し経ったころ、先生はある提案をした。
「それじゃあ、授業に出る代わりに毎週課題をするというのはどうですか」

この先は書いてもしょうもない提案の詳細の話だったので要約すると、
要は先生側の立場にしてみれば、ペアを作らずに1人で授業を受けているのは
自分の授業にとっては全く意味がないから、
それなら、授業に出ない代わりに授業と同じ分の課題を課して
それを出席代わりにするというもの。
自分にとっては火曜日が3コマになってくれるだけではなく、
ただ課題を出していれば単位ももらえるというのだから願ったりの条件だった。
自分が寒さに震えているのを見て、話の続きは明日研究室でということになったが、
そこでは課題の詳細と提出日を決めるだけでトントン拍子に話が終わった。

風邪の症状を除けば、今回は前回のように話し終わったあと舌打ちするような
どす黒い気分にはなっていなかった。むしろ清々しさもあったかもしれない。
これが仮に孤独の悪循環における呪いの一線を越えたものだとしても、
少なくとも“何かを得た”という気分にはなっている。

ひょっとすると、この状況を打開するのに必要なものはとても単純なものかもしれない。

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