#2000

これまでのあらすじ


独り言 自分


思い出は、嘘をつくことがある。
何となくいいと思える日々や、その逆の日々が記憶として残っていたりする。
鮮明に覚えていようと努力しても、結局その日の事を完全に再現できるわけではない。

そんな記憶の欠片を大切だと言って、これまでそれを書き残してきた日々は、
本当に正しかったのだろうか。

個性だとか、存在だとか、自分というものが何者なのか、
問い続けている自分がいるけれど、
その答えは一つの方面としては大昔から突き付けられている。
それは、自分とは過去の積み重ねであると言うこと。
『自分』というのは物理的に数えるものではなくて、
これまでのあらすじを辿ってきた一人の歴史にしか過ぎない。

「あの時ああしていれば、」
「もしも異性に生まれたら、」
「そんな苗字がよかった、」

そんな妄想の先にあるのは自分ではないもう一人の自分であり、
時間を使って表現する『自分』というものではない。二人称の自分は自分ではない。
そんな、全く同じ時間軸で生きている――そういう存在が目の前に見える時も稀にある。
別に物事に必然性があると言いたいわけではない。
未来の自分は「まだ」自分ではないのだから。

自分を表現したいと思った先に個性がある。
未来を繋ぎたいと思うから自信というものがある。
そうして思い出が作られていく。
人は結局、生きたいが為に生きている。

未来の自分の為にと書き残してきた、2,000枚の日記帳がここにある。
記憶に残っている自分というものを、ほんの少し詳細に知らしめるための
文章という形で残した、2004年以来の自分という、いわば『4分の1の自分』がここにはある。

二千番目という巨大な節目を迎えるにあたって、
別に「これからも続けていこう」「こんなにたくさん書いてきたんだ」
というような、今まで再三書いてきたようなことは書くつもりはない。
それが自分そのものである以上、これからも続けるなんて当たり前のことだからだ。

2,000という数字を目にすると、自分にとってはまず西暦2000年を思い浮かべるし、
今の時代なら多くの人がそう考えると思う。
1988年生まれの自分にとっては、2000年というのは生半可な節目ではない。
新世紀を迎えるのと同時に中学生になったという年齢上の理由で、
2000年代と聞くとそれがまるで自分のすべての歴史かのようにさえ思えてくるからだ。
1999年と聞くと、それが物凄く幼いころの時代のように思える。
そんな節目の時代に生きている事を、とてもうれしく思うし、誇らしく思う。

そんな自分の象徴ともいえる2000年代最初の十年紀が、あと4ヶ月で終わる。

2010年へは手ぶらでは行くことができない。二桁目の「1」に似合う荷物が必要だ。
些細な記憶の欠片を、出来る限り拾い集めて抱きかかえるのが、
「今」の自分がやらなければならない事だと思っているし、
新天地に赴かなくてはならない不安な立場を和らげる唯一の手段だと思う。

そうやって積み重なっていく先で見つけた新しい何かを手に取った瞬間が、
「今」を楽しいと思える瞬間になって、それがまた積み重なっていく。

そんな巨大なものが、自分にとって間違いであるはずがない。

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これまでのあらすじ” へのコメントが 2 点あります

  1. どうも

    最近、ドラクエ9かモンハン2g(psp)を買おうか検討中なんで、ゲームに詳しい木っ端ちゃっぴーさんはこのゲームはオススメでしょうか?

    日記やゲームレビューとかに意見を書いてくれるとありがたいです。

    前に言ってた哲学の本は読まれましたか?

    ではまた。。。

  2. どうもです。

    うーん、残念ながらどちらも持ってないですね。
    この立場からの意見で言うなら、売上数や話題性的にドラクエ9の方を推したい気もしますが、
    大分雰囲気の違うゲームなので好みを優先した方がいいかもしれませんね。

    哲学の本は読みたいのですが全然読めていません……
    実家生活中なのですが、家族といると一人で考えに耽る時間が少ないからか
    こういう本を読む気力が削がれるんですよね。
    弟の夏休みも終わったこれから、チャンスがあれば読みたいとは思っています。

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