#2427

読書の話


文化 独り言 自分


中高大と約10年間、絶えず先生に言われ続けた事。

「本を読みなさい」

それを言われる度に僕はいつも、
「具体的にどの本を読めばいいんだ?」
と思っていた。

高校の頃は、天声人語やら社説やら、本というよりは新聞を薦める先生も多かった。
要するに今を知れという事なのか、と思っても、どうやらそうでもないらしい。
読解力を学ぶだけなら教科書でもできる。なぜ敢えて「本を読め」なのかを、
高校時代の自分は紐解こうとせずにいた。
大学に入ってからは「なんでもいいから本を読みなさい」になった。
生徒が多種多様だから具体的なものが出ないのか、
本が多種多様だから具体的なものが出ないのか。
あまりに教授が上から目線的にそれを言うので、
本を読まない学生を批判したいだけなんじゃないかと思ったこともある。

僕はどちらかというと、と言うまでもなく、本を読まない方の人間だ。
だから未だに、“本”というものが何者なのかがよく分かっていない。
最も漠然とした考えでは、本というのは他人の考えの塊なのか、と思う事がよくある。
先生の言っている事は、「他人の考えを取り込め」という事ではないか、と。
それに対する僕の疑問は「どういう考えを取り込めばいいのか?」という事になる。
漠然とした姿勢のままで考えるのなら、それは自分にとって得のあるものや、
あるいは知識欲をかきたてられるものという事になる。
“知識欲”という事になると、ありがちな結論だが
結局ネットに取って代わられたという事なのではないかとも思う。
実際、知識欲云々について言えば、僕は完全にネットに依存していると自覚しているし、
あえて本で知りたい理由がない限り、知識欲の為だけに本は買いたくない。

ネットというものを持ってくると、ああ単なる世代差なんだな、とも思ったりする。
今の先生の世代はネットのない時代の頃に子供だったから、
大人になってから“子供の時に本を読む事が大切だ”と後悔して、
それを今の子供に伝えたがっているんだな、と。
しかし、中学時代はともかく
もうネットが普及して大分経った今もなお本を読めという先生がいる。
当然、若者はネットばかりという事を知っているだろう。
となると、知識欲の為に本を読むのではなくて、もっと何か別の理由があるのだろうか。
そういえば、
「ネットでいろいろと調べて知識を付けなさい」
と言ってきた先生には出会ったことがない。単に信憑性がないからという話なのだろうか?

上に書いた「他人の考えを取り込む」という事は、
僕は去年夏頃に体験していた事かもしれない。
かもしれない、というのは、はっきりとした実感がないからなのだが、
しかし今思えば、ある本にかなり影響されて思考していた節もある。
さすがに一昨年以前の自分の考え方を深く覚えているわけではないので、
どう変わったか、という事を比べるのは難しいが、しかし変わったかもしれないとは思う。

その本はいわゆる自己啓発本の類で、手に取った理由はほとんどなかった。
ただ、なんとなく書店で手に取ってみて、これは今の自分の状況に合っているかもしれない、
それを解決するなにかを教えてくれるかもしれない、と思って買ったのだった。

「本を読みなさい」と言われて、確かに本を読まなきゃな、とは思う。
いろんな人から何かを学びたいと思う。つまり、本を読みたくないわけではない。
本を選ぶ方法が分からないだけだ。
あわよくば、高校の先生にはそういう部分を教えて欲しかったと思う。
本来なら自然に身についている事かもしれないが、
好き嫌いだけで取捨選択してきた自分にとっては、結構時間がかかりそうな問題のように思う。

大学ではもうその辺は分かっていて当然という前提で「とにかく本を読め」
と言ってきたのかもしれない。
それは「あなたの興味のある分野についてもっと本を探して読みなさい」という事か。

最近、自分の中では“自己中が悪”という考え方が流行っている。
社会的犯罪者や見た目的に変な人、そういう人達は、
自己中心的だからそうなったのではないか、と考えたり、
ひいては自分自身の黒歴史が、それは自己中のせいだと言い張ったりする。
他にも、イジメが起きるのはそれぞれが自己中な思春期だからだ、とか、
ネット掲示板等でこの人が叩かれているのは自己中な書き込みだからだ、といった具合だ。
他人に迷惑をかける人が悪い、というのは社会的な常識だと思うし、
今まで僕もそれを信じて疑ってこなかった。
それを、大学生晩期になってようやく一歩だけ考えを押し進められた気がする。

この考えのもとで改めて本というものについて考えると、
「本を読め」という先生の通り、確かに“自己中にならない”為には他人の考えが必要だ。
本の中で今の自分の状況に合致した部分について著者が何か言っていれば、
「ああ、あの人はこう言っていたな」という思考の前提ができあがる。
そういう前提がこれから必要なのだろう……
と思うのはあくまでも自分の内の一面が勝手に決めつけているだけで、
他にも、本を読むという事は
知識欲がある事自体を自慢したい見栄の為だと思ってしまう事もあり、
そもそも自己中になりたくない為に時間と金を使って本を読むのは割に合わない、
と思う事もある。この辺は、自分が怠惰人間が故の悲しいところでもあるのかもしれない。
本を読みなさいと言われて読んでいないのは怠けているからで、
自分を見ていると“怠け者が自己中”という式も成り立つような気がしてくる。

結局、今の自分に必要な本は何なのだろうか。
とりあえず、「本を読む為の本」みたいなものでも探してみようか、と思う。

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