#2527

長文日記と長時間会話の違い


文化


04時就寝14時起床とやってしまった感満載の生活リズムに転落し
書く事がないので昨日のskypeの話でも。

去年10月に高校時代の友人と話す目的でデビューを果たした無料音声通話ソフトskype。
多分、一昨年以前の自分がこの話を聞いたら
「自分がskypeだなんて、明日は槍でも降ってくるんじゃないか」とか言いそうなくらい、
自分自身は音声通話はあまり好きではありませんでした。
しかし文化祭の日にskypeやってみないかと誘われ
さらに後日bluetoothヘッドセットを新調したのをきっかけに、
ちょっとやってみようかなと思ったのが始まりでした。まぁ、自発的でないのは確か。

4人で話をしたのは1時間弱ほどしか経験がないのですが、
自分含む3人以下で話をする時は、時折3人を交えて話す事もあるとはいえ、
いつも大半は自分以外の2人がメインになって話すか、
あるいは自分の将来について、自分が話を“聞かされている”立場になるかのどちらか。
……要するに、話についていけていないというのが実情です。
正確には、対等さを感じないというか。会話ってこんなものだっけ?

また、たまたま自分が知っている分野――例えば最近興味を持っているAndroidの話や、
音楽、ゲームの話――なんかに会話が流れていくと、
待っていましたとばかりに饒舌になろうとするのですが、
どうも二言三言程度以上の事を話すのは気が引ける感じが心の奥底から湧いてきて、
結局そういう話題はすぐに流れてしまうか、あるいは偶然長く続いた話題も、
自分が話している場所と聞いている友人との間にいつもより距離がある気がして
どうも理解してもらえないもどかしさを感じる事がよくあります。
6時間もの長い会話を半月ごとにするという経験がそもそも今までなかったのですが、
それをさしおいても、自分はここまで同年代の人と距離が空いてしまっていたんだな、
と思うとかなりネガティブな気持ちになりました。
少なくとも、自分がこの4年間、なんだかんだで何もしていないんだな、
という確信はこのskypeを通して知りました。本当に、自分発の話題が少なすぎる。
しかし、数少ない引き出しから話題を出したところで理解されるというわけでもなく。

ちょっと思ったのは、このskype仲間とは共通認識がないからこういう気持ちになるのかな、
という事。ローカルな話になりますが、例えば実家帰省中に弟と何かを話すときは
ゲームという共通趣味が軸になって、
そこからいろんな話に展開するというのが当たり前の風潮が出来ているんですよね。
家族間以外でも、最近で言えばこないだの飲み会もそうだし、かつての掲示板利用全盛期も、
ネット上ではそういうコミュニケーションの仕方をしていたんじゃないかと思うんです。
この方法だと、例えばゲームなら、その軸からどんどんずれていって、
話題がつまらなくなってきたところで本軸のゲームという話題に戻ってくるという、
いわば補給のような手段があります。教授との世間話なら授業や卒論の話、
ネットならネットスラングやホットな話題といった事に置き換えられるんじゃないかと。

skypeではそれがないんですよね。
自分が口下手でコミュ力不足なのは認めますが、それ抜きにしてもちょっと話しにくいなぁ、
というのは少なからずあると思います。といいながら毎回5時間以上話したりするんですが。
この話しにくさは多分、お互いの引き出しの多さの差異から来るんじゃないかなと。
軸のない話で何時間も話せるのは引き出しが多いからで、
ある軸を中心に据える話し方は引き出しが少ない場合の話し方なんじゃないかと。
要するに自分は友人と比べて会話の引き出しが少なすぎるという自虐ネタです。

ただ、やっぱりそれとは別にコミュ力なさ故というべきか、
話したい事があるのに結局話せないという事態にも何度か陥ってもいるんですけどね。
この辺は、こうして底辺ブログを何年も続けている事が関係してなくもないんじゃないかと。
例えば自分の音楽の話をブログに書こうと思ったら、
それは9割9分コメントのない一方通行の世界なので、思いっきり主観的に書く事ができ、
それはもう書こうと思えばゲーム音楽の話、再生数の話、プレイヤーの話、
エレクトロニカやテクノポップブームの時代、
iPod touchと際限なく書く事ができると思います。見返りの事を考える必要がないので。
skypeの事にしても、こうしてもう4,000字は超えようかというところまで来ているわけだし。
また仮にコメントが来ても、それはすでに自分の長い演説が終わった後なので、
少なくともブログをコメントによって寸断される事はないという事になります。

しかし、対話や会話となると、かならず一言二言に対して返答があり、
その返答にまた応えて……という繰り返しになるので、
どうしても直線的で一方通行的な話ができなくなってしまいます。
自分はあまりにも長文ブログになれすぎた為に、
そうやって相手の干渉によって会話が曲がる事に
とことん不慣れになってしまったんじゃないかと思うわけです。
声という伝達手段もしかり。

今はまだそれでもskypeを楽しんでいる方だと思いますが、
昨日~今日の6時間会話の中では自分だけ沈黙の状態が長く続くという事もあったので、
その辺が膨らんできたら自分の中でのskypeはしぼんでいくんだろうなと思います。
友人がどうのこうのではなく、あくまで主観的な考えとして。
まぁ、こうやってskypeできるのも、来年度からもし実家生活再開という事になったら
かなり難しくなってくるので、ここにいる間は貴重な体験として
できるだけ積極的に参加して、少しでもコミュ力を友人から分けて貰いたいところです。

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