#2924

説得力 -後編-


今日の出来事 空想


自分たちの大学院では、本来自分たちが目指しているはずの職場から、
改めて専門分野を研究するために一時的に学生になる大人の人達がいて
その人たちは通称現職と呼ばれています。
つまり大学院の授業というのは、そういう社会経験のある大人たちと授業を共にし、
当然飲み会なんかで飲む相手もこの人たちが含まれるわけです。
ついていった二次会の会場はちいさな焼き鳥屋で、参加者は同期の現職の人と、
タメ年で同期の友人一人、それから二年生で現職で自称40過ぎのおっさんが一人、
そして自分という、一次会と比べると一気にこじんまりとした構成に。
自分以外は一次会で延々と喋っていたグループのひとつが分離したメンバーで、
そこに自分が加わったことで、そのおっさんにはいろんな事をボロクソに言われました。
すでに酒の入った席だったという事もあるのでしょうが、
とにかくその現職のおっさんは歯に衣着せない物言いをする、
自分に言わせればキツい性格の人で、
開口一番「君の修論(の構想発表)は凄くつまらなかったよ」と言われ、
二次会に来たことを若干後悔しました。
ただし、悪意を持って言われているわけでは決してなく、
実際に自分も、修論に対して意欲的に取り組んではこなかったと自覚していたので、
「つまらなかったですよね」と言うしかありませんでした。
この時、その後に続いて「これから頑張ります」と言わなかったのは
今にして思えば良かったと思います。

会話の詳細をあれこれと覚えているわけではないのでかいつまんで書くと、
自分が、自分自身が自信がないと思っているからあらゆる事に手が付かないと言うと、
「自信がないって言うけど、じゃあ、自信のある人ってこの世に存在するか?」
と言い、決して頭ごなしに「頑張れよ」「もっと自信を持てよ」
とは言ってこないタイプの人でした。
自分がこういう話をすると、謙虚すぎる姿勢もあってか、
大体「頑張れ」を遠回しに言う人が大半で、
しかもどう頑張ればいいのかというアドバイスをくれる人には
多分今のゼミの教授以外に出会った事が無く、かつて学部時代に相談した教授に至っては
「就活に悩んでいるのなら就職課に行きなさい、
 卒業論文の事なら今度説明会があるからそれに出なさい、
 学費はあなたが同意の上で入学したんだからどうしようもないでしょう」
と、同情すらしてくれないような人間でしたが、
そういう人達と相談すると、なんだか説得された感じがしてもやもやしたものでした。
いや、もちろん相談の上で説得力があるのは大事だと思うんです。
でも、学部時代の教授もしかり、
相談相手が納得するというところまでは至らず、
嫌な言い方をすれば喋っている人が納得するだけに留まっていた節があると思うんです。
もちろん、それは受け止める方の理解力も関わってくるわけで、
むしろそっちが大きな原因だった事も何度かあるでしょうが、
少なくともこの学部時代の教授はそういう類の結果ではなかったと思います。

このおっさんは、多分自分とは比較にならないくらいの知識量があって
しかもそれを適切に言葉に乗せる事ができるだけの頭を持ち合わせているようで、
正直付いていくだけでも一杯一杯でしたが、
自分の悩みに対してかなり的確に答えてくれるので、
こういう人と日頃から話していたら頭がスッキリしそうな感じはしました。
が、あいにく自分の悩みというものをそう簡単に言葉にできる状態でもなく、
結局この辺は自分のスキル不足に繋がっていくんですけどね。

自分が、今の時点では修論も就職も
もうどうしようもなく立ちゆかなくなっているという現状を、
ありのままに言って装ったりしなかったのがやたら好印象だったみたいで、
最初は「君はその道に向いてないよ」とキッパリ言われてどうしようかと思っていたら、
最後には「馬鹿であることを隠蔽しなければ俺みたいな奴が助けてくれるよ」
みたいに言われて、修論やめれば? という結論には至らなかったのは安心しています。
実際、これまでの修論はボロボロだったというのは事実で、
それを否定しようはないのですが、じゃあこれからは倍頑張らないといけない、
という話にもならず、本当に研究者になりたくてやっているのでなければ、
なあなあにやって行けばいいんじゃないかというのが自分以外三人の総意でした。
この辺はどうも、今でももやもやしている部分の一つなんですけどね。
それで頑張れたら苦労しないだろと。
事はそう単純ではないので、うまく説明することはできないのですが……。

このおっさんは無知である事を隠蔽せず開き直っている自分に対して好印象な反面、
同期の人達の中で、無知である事を
あたかも知識を持っているように装う癖がついている人達を明確に嫌っていて、
そういう人達に対してはもはやクズ扱いしてしまっていて、
この辺も自分の主義と反するというか、うまく説明できないもやもやでした。
人ってそんなに簡単に否定できるものではないだろうと。
いかにも厳しい先生の模範みたいな人だったので、
この辺は自分とは明らかにタイプが違うだろうなと思っていました。
これは勝手な解釈ですが、このおっさんは「人間みんなクズなんだから、
開き直って生きていけばいいんじゃないか」という考えの人で、
自分は何となくその反対の考え方を今までずっとしてきたような気がします。
なんというか、上手く説明できないし根拠もないのですが、
本当に人間本来クズで、みんな仕方がないから仕事をしているんだとしたら、
世の中はとんだ偽善の塊になってしまうんじゃないかなぁ、
などとこれを書きながら思ってみたのですが、
社会経験のない自分がそんな事をキッパリ言えるはずもなく。

ハッキリ言えるのは、自分は自己完結的な考え方をするタイプだという事を
今回、年配の人にぶっちゃけた話をして分かった気がします。
七年半に渡る日記の中でコメントが返ってきた記事は
おそらく全体の1割にも満たず、確実に自分は他人本位なものの書き方が苦手で、
それは実際の会話や、あるいは研究姿勢、趣味に対する姿勢といった部分にも
多かれ少なかれ反映しているんじゃないかなと。
多分心理学の分野の話だったんじゃないかと思いますが、
“自分から見た自分”なんていうものは幻想でしかなくて、
自分というのは常に“他人から見た自分”だという話がちょこっと出てきたり、
あと自分の欲望の源泉には必ず他人の欲望がある、
つまり自分というものは常に他人が欲しいものをほしがる性質がある、
というような話もありました。
どの文脈で言っていたかは忘れてしまいましたが、
少なくとも自分はいつも他者のことを考えずにここまで来たので、
そういう考え方があるんだと思うと、かなり関心していました。
この辺は去年末に悩んでいた事にも通じるような事がある気がします。

もうひとつ凄いなぁと思った話があって、引用すると次のような話です。
机の上には何故か残り二つ残っているトマトが皿の上に載っている。
みんな何故か食べようとしない。
教師というのは、その二つのうち一つをみんなの前で食べて、
「このトマトおいしいなぁ、すごくおいしい」と言う仕事だ。
……という話です。最初は全然ぴんとこなかったのですが、
高校時代に雑学ばかり喋っていた生物学の先生の事を思い出して、
ああ、そういう事かと思いました。
あの先生も、随分と楽しそうにいろんな話をしたものだなと。
とはいっても、記憶の中には、「このトマトまずいけどおまえらは食べろよ」
と言ってくる先生も少なからずいたような気がしますけどね。

そんな感じで他にもいろんな話が盛り上がったのですが、
今の知識足らずな自分にはあまりにも敷居が高く、
あれこれと感想を書こうとしても、選ぶべき言葉が見つからなかったり
その分野について知らなすぎたりして、レベルの高さを感じました。
帰宅後、家に戻って寝て起きていつもの日常を過ごしながら、
無知と言われようが、
なんだかんだでこの生活が落ち着くなぁなどと考えたりもしました。

ちなみに終電は話が盛り上がっている間に逃してしまい、
現職のおっさんが自分たち二人を身内の車に乗せて自宅まで送ってくれました。
さらには現職の二人が飲み代の大半を払ってくれて、
自分たちは端数の折半を払うことになり、本来電車賃になるはずだった額と
20円しか違わない支出で二次会は終わりました。
いろいろとボロクソに言われて「良かった」と言うのもどうかと思いますが、
それでも結果的にこの二次会がなかったら
今回の飲み会が最低級に価格不相応だったのは間違いなく、
二次会である程度盛り返すことができたような気がします。
同時に、今の自分は今日のようにぶっちゃけて話す機会が少なすぎるからこそ
自分本位な過ごし方、自己表現の仕方をしてきたんじゃないかとも思いました。
もっと他人を信用していろんな話をこっちからするべきなのかもなぁ……。
今はどうしてもそれに対する恐怖心や抵抗感があり、
まずはこの辺からなのかなとは思っています。

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