#3066

自らを支える為に祈る


空想 自分


七夕の事を全く書かずに、あんな話題で終わらせてしまうのもアレなので
久々の、本当に久々の一日二本目を書いておきたいと思います。

というわけで七夕。
七夕が、01月01日に次ぐ一年で二度目の“決心の日”になって早七年目。
その根底には、結局願いに向かって必要なのは自分の強い意志があるんだという
ある種現実主義的な思考が自分の中で頭をもたげているからで、
2005年、2010年に短冊に書いた事は、ある意味それを見据えていた気がします。
あとの年は、恋愛成就を願っている2006年なんかがその典型で、
他人の介入なくして成立しないような事ばかりを願っていていて、
まぁある意味その方が七夕らしい願い事なのかなぁとも思うわけです。
2011年はなんだかんだといいながら沢山書いていますが、
まぁ、震災復興を願っていたと解釈するべきなんでしょうね、これは。

それを踏まえての今年の願い事を考えると、これはもう「心身健康」以外にないなと。
理由は、ごく単純な話、4年を経て本物の睡眠障害という事が最近明らかになった
この壊れ続けた生活リズムによってさまざまな損をしているという事が第一にあります。
あとは、そもそも今まで願ってきたことの根底に努力が必要だという事が分かっていて、
趣味の復興、金銭面の潤い、あるいは今や思春期を通り過ぎてしまって
昔のように強く願う事はなくなりましたが、恋愛成就ももちろん、
すべては自分の努力次第で運が占める割合というのものは、
もしかすると限りなくゼロに近いものなのかもしれないという事から、
努力をするための何かが得られる事が、
今の自分の最大の望みなんじゃないかと思ったというのがひとつ。
今年の目標にも、2010年の短冊にも
「努力できるようになりたい」と書きましたが、そういう事が、
まず身体が健康でない限りはどうしようもならないという事に改めて気づき、
今はこれがなんとかなってくれない限りは
他の願い事を考える余地すらない状況だと思っています。

生活リズム崩壊中は、“やりたくて、かつ今の自分ができる事”すらままならない状態。
もちろん、これがすっかり治ったからといって、
例えばブログの後日投稿が完全になくなるという事はまだ難しいのかもしれませんが、
でも“やりたくて、かつ今の自分ができる事”の中から
不自由なくタスクを選べるようになったら、どれだけ充実度が上がることやら。
もちろん、できないけどやりたい事、あるいはその逆というのはたくさんあって、
来年度から深刻化するであろう……というかすでに深刻化している就職問題とか、
あとは、まさに明後日が修羅場である修論の問題なんかは
そうそう簡単に人並みには追いつけないでしょうが、
それでも、生活リズムさえなんとかなってくれれば
少なくとも今よりはよっぽど現実的に解決に向かうことができるんじゃないかなと。
先日、実家暮らし時代の自分が、一日12時間近くも高校にいて、
よくもあれだけサイト運営趣味やゲーム趣味にも全力になれたなと関心していましたが、
あれは親に睡眠リズムや食生活を支えてもらっていたからに他ならないわけで、
今だってその辺さえなんとかすれば、決して不可能ではないと思うんですよね。
まぁ、十代の若さにはさすがについていけないでしょうが、
その分経験値がたまっているし、そうやって大学院生なりの頑張りを見せている友人は
周りに何人もいるわけで、自分だけができないのは
まさにこの生活リズム崩壊が原因だろうと、今更ながら思うわけです。

そんなわけで、これから夏バテ全盛の時季が迫ってきていますが、
もし願いがひとつ叶うとしたら、
生活リズムの安定を初めとする心身的な安定感が欲しいなぁと。
今年は割と切実です。ぶっちゃけ三年前に就活を案じていた時より切実です。
にしても、過去の短冊を読み返してみると、その年に願っていることが
翌年悪化の一途を辿っているような事が多い気がしてなんとも……。
有言不実行の癖がもたらす罰なんでしょうかね。
今のこの生活リズムはさすがにこれ以上悪化のしようがないと思うものの、
さてどうなることやら。

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