#3289

薄膜の先入観


文化


若干批判的な記事になるかもしれません。

先日、修論後述審査副査の教授に同期の友人二人と一緒に連れられて呑み屋に言った時、
こういう時の常として彼女いるのかどうかということを訊かれました。
それも、「キミはリア充なの?」と言われました。教授がそんなこというのか、
と若干面食らった気持ちはありましたが、まぁとりあえずそこでは正直に答えました。

でも、自分はその“リア充”という言葉の使われ方に対して
物凄い違和感を感じたんですよね。
何を持ってリア充というのか、といえば、恋人がいれば当てはまるらしい。
じゃあ、どんなにクズな人生を送っていようが恋人がいれば“リア充”なのかと、
本当はその場で教授や友人に問うてみたいという気持ちはありました。
友人がいわゆる“リア充”なので言いませんでしたが。

自分は、いわゆる“非リア充”なのでとやかく権利はないと思います。
恋人がいたらいろいろ充実しそうな気がするというのは分からなくもありません。
ただ、じゃあ恋人がいたら
本当の意味で現実で上手くやっていけるかというと必ずしもそうではないだろうと。
恋人ができることで恋愛ということに対する偏見やひがみは解消されるだろうし、
それによって得るものも当然あるんでしょうが、
果たしてそのしがらみから脱出したら必ずリアルが充実するのかという疑問はあります。

こんなことを言ったらいけないのかもしれませんが、
いわゆる“リア充”という言葉の使われる意味が恋愛関係に特化してしまったのは、
なんだか、恋人のいる人達が、恋人のいない人達を見下したい精神から生まれ、
勝手に一人歩きしてしまっているような気がしなくもありません。
自分は恋愛至上主義という考え方が理解できないので何とも言えませんが、
自称リア充というのは、恋人がいるという事実に縋っている雰囲気を感じるというか。
これもひがみなんでしょうかね。

同様に、昨今世間の間で使われている“オタク”という言葉も自分は嫌いです。
何を持ってオタクと言うのかと言えば、
今は何やら漫画アニメゲームに興味を示している人をオタクと言うらしい。
それに当てはまっていると思っている人が
オタクを自称するのを見かけたことがありますが、
これにも自分は相当違和感を覚えました。オタクって自称するものではないだろうと。

この辺も2005年の『電車男』映画化辺りから歯車が狂ってきたような気がします。
本来オタクっていうのは趣味の仲間内にしかその趣味をひけらかさない、
それも相当にマニア志向のあるごく一部の人間だけが当てはまるはずだったのに、
いつの間にかアニメを見るだけでオタクと呼ばれるようになってしまったと。
これもなんというか、自称一般人が見下している事の現れのように思います。
オタク=外見がキモいというような風潮が少なからずありますが、
必ずしもそうとは言えないだろうと……。

昨今よく見かける自称オタクというのは、
多分本来なら趣味に関するマニアにもなりきれず、
かといって本当の意味で“リアル充実”を実現することもできなかった、
物凄く中途半端な人達なんだろうなと思います。
一昔でいうところの落ちこぼれみたいな。
そういう定義で言えば、自分も少なからず当てはまっている部分はあるのですが、
自分は決して自分の事をオタクだと思ってはいないし、
そう言われたら不快感を示してしまうと思います。
自分なんかがオタクを自称したら本物のオタクに失礼だと思いますしね。

同様に、可能性はかなり薄いですがもし恋人ができたとしても、
それを武器に自分はリア充だからと他人にひけらかす事だけはすまいと思っています。
ある意味では、それを実践している人を自分も見下しているが故に
こういう考え方が生まれるのかもしれませんが……。

恋人がいるからリア充、アニメをみたからオタク、
というような安易なレッテル貼りというのは、
ネットを見る限り結構そこら中に氾濫しているように感じます。
自分はそういうレッテル貼りをしたくないし、されたくないなぁとつくづく思います。
まぁなんというかみんなが思っている当たり前の事なのかもしれませんが、
最近ちょっともやもやしていた事なので書いてみた次第です。

今日は昼夜逆転のせいでほとんど何も手に付かない一日でした。

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