#3600

ハードルの話


独り言 自分


どんなものでも、日課として続ける場合は必ず物事に対する意欲の高低差がある。
だから、もしもそれを本当に必ず毎日やろうという意志があるのなら、
気分のすぐれない日のことを想定して目標を立てるべきだろう。

そういうことを意識して計画を立てること自体は結構なことだ。
ところが、計画の段階というのはしばしば、
日課としてやろうと思っていることに対する経験値が
圧倒的に足りないことがほとんどであり、
何も分からない、いわば暗やみの状態で計画をするしかない。
そんな状態で立てた計画というのは、
手放しにしておけば次第に現実と乖離したものになってしまう。
まるでそれを追いかけるように、初日のハードルも空高く上っていってしまう。

不思議なことに、そう思ってしまうと簡単には後には戻れない。
これが人の性なのか、僕自身のただの悪癖なのかは分からない。
ときにはそれさえも自覚しないままに初日のハードルへと向かい、
仕方なく跳ぼうと一歩踏み込んだその瞬間になってようやく気が付く。
「こんなの、毎日できるはずがないじゃないか」と。

けれど計画した以上は毎日続けなければならないという自尊心がある。
自尊心は今の正直な気持ちを欺くためにあるようなものなのかもしれない。
正直な気持ちに背き続けながら無茶なハードルを越え続ける、
次第に心ばかりか身体も疲れてくる、
そしてあるとき、足にハードルが引っかかって転倒をしてしまう。
こうなるともう、次にあるハードルが怖くてしかたがなくなってしまう。
こうして日課の計画というものは、最初の何日かで決着が付くことが多い。

そもそも、日課である必然性のある計画というのは、
少なくとも僕がいままでに計画してきたタスクの中にはほとんどない。
ただ一日で一気にやると負担が大きいので、
その負荷を分散させようと日課として処理しようとしているだけの話だ。
それ自体は結構なことでも、負荷が分散した分達成感も薄まってしまうと
結局続かないことの方が多い。

最近、見返りについてよく考えるようになった。
何かをしたことに対するレスポンスがないと、結局その行動は続かない。
今までこれを意識しなくとも何らかの計画を実行できたのは、
ただ物事それ自体に対する新鮮味が大きいからだったんだろう。
今それがまったく途絶えてしまったとは思っていないが、
慣れてしまった分、そのハードルは上がってしまったように感じている。

昔は当たり前でなかったことが、今や当たり前になってしまった。
当たり前ではないというフィールドでやってきたからこそ面白かったものが、
なんだかありふれたものに見えてしまうようになった。
“当たり前でない”ものが溢れている次のステージは、
小さな視点から言えば日々見つかっているのかもしれないが、
生活そのものを揺り動かすほどのフィールドはまだ見つかっていないように思う。

計画によるハードルは自尊心を取り除けば意図的に下げることができる。
一方で慣れによって勝手に上がったハードルは簡単には下がらない。
そこに、今の僕が有言不実行に陥りがちになっていることの、
根本的な原因が潜んでいるような気がする。

そんな風に原因を辿っていくとかならず「何故僕はこの道を歩こうと思ったのか」
という疑問の壁に突き当たってしまう。
何も考えずに歩いていた頃の自分が羨ましいと思う。

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