#3894

社会と自尊心の話


今日の出来事 独り言 自分

僕はこの日、今居る会社を近いうちに辞めることを決意した。
と同時に、自分が社会人になるにあたって、立ちはだかる大きな壁の正体が分かった。

前に居た会社を辞めた理由は、端的に言えば「お金のためだけに働く」というステータスが、
客観的に見て情けないものだと思ったからだったのだと思っている。
同じくらいの給料で、もう少し自分のプライドを預けられそうな会社に勤められれば、
そこからもう一段階ランクアップできるのではないか、と。
今年春、就職活動をするにあたって金銭的な問題が深刻化しており、
そこまで余裕を持って選べたわけではなかったが、
それでも今の会社は、自分の趣味に近いという意味では
以前の職場よりは断然近いのは紛れもない事実だった。

ところが、そこにはひとつの隙があった。
お金のため“だけ”でなく、もうひとつくらい仕事で得るものが欲しい、
というのはあくまで理想でしかない。
そして、そういった理想を前提に職種を選ぶと言うことは、
“お金のためだけ”以上に頑張れるという理由が自分の中になければならないことになる。
そのためには、業種についてあらかじめある程度知る必要があったし、
その現実と昨年末時点の理想の違いについて、すりあわせをしなければならなかった。

いわゆる情報処理業務。
PCに抵抗が無く、Excelについてある程度知っている人を募集していると言われた。
Excelの基本機能なら曲がりなりにも九年くらいはかじっているのだから、
マクロを組めとさえ言われなければなんとかなるだろう、というくらいの自信はあったし、
ゆくゆくはWeb制作もやって欲しいと言われて、
そのときはこの会社に来たことに対する、ある種の必然性まで感じていたほどだった。

ところがPCの前に向かってひたすら打ち込む作業だけで済んでいたのは入社四ヶ月目までで、
先月からは、自分たちの所属する部署のいわゆる部長に対して外から入ってきた仕事を、
自分たち自身が別の人たちに業務を依頼するという仕事内容に一変した。
要するに、自分たちがデータを打ち込むのではなく、
別所にいる入力専門チームにデータを打ち込ませ、それを監査・監督する仕事である。
最終責任は自分たちにあるが、入稿と納品日は上司が管理している。
上司からは納品までのスケジュールや管理品質について理不尽な物言いが飛んでくる一方、
入力チームは基本在宅作業で、「仕事を受けたいときに受ける」という身分ということもあって、
そんな納期でこの量ではとても出来ない、と愚痴を自分たちに飛ばしてくる。
それでも、完成のためには無理矢理にでも連絡を取らなければどうしようもない。

ここでは「Excelをいかにして使いこなすか」「どうやって効率良く情報を整理するか」
といったことよりも、入力チームの前ではヘコヘコとし、
上司の前でもヘコヘコするという板挟みの中で、“誰も怒らせない技術”の方が重要になってくる。
なおかつ、誰もがそっぽを向いたときに自分自身の時間を削らなければならないという、
自己犠牲の覚悟も必要となる。
こんな業務内容と知っていれば、僕はこの会社には来なかったと思う。
そんなことを先月前半から延々と心の中で復唱していると、
徐々に“お金のためだけに働く”よりもモチベーションが下がっていくのを自分自身で感じた。
適性ではない仕事をしているという自覚、それに自信のなさが相まって、
一体自分は何のためにここにいるんだろうという気がしてくる。

今いる会社は上の人間が過剰に“怒る”体質の会社であり、
それがモチベ低下の原因にもなっている。
スパルタ方式を信じている世代なのか、週一回のミーティングはほとんどがミス追求、
朝礼で怒号が聞こえてくるのも珍しくはない。飴と鞭のうち飴がまったく欠損した会社である。
それはもちろん、自分を含む若手のドジがあってこそだと思っているし、
直接の原因がそこにあることは間違いないと思う。
しかしそもそも、この会社はあらゆる面でチュートリアルというものが無いに等しく、
いきなり全責任を下っ端がゆだねられるという体質上、ミスを誘発しやすい環境ではあると思う。
その上、会社全体は常に忙しく、上司は「自分で考えてやれ」と言わんばかりの空気を醸しだし、
反省会で「自分の指導力不足だった」というようなことを吐露したことは一度も無い。
怒る前にそれを未然に防ごうとする努力が微塵も感じられない。
指導される側から見れば、
その姿勢は指導する側としての責任をまったく持つ気がないように思えてならないのである。
ひたすら怒ることで「自分は悪くない、自分は正しい」ということを再確認しているような、
そんな節さえ感じられる。

今日、僕は端から見れば大きなミスをおかしたせいで、
残業中の社員総動員で21時までつきっきりで作業をさせることになってしまった。
ミスというのは、自分が納品責任を負っていた物件を途中で引き継ぐことになっていたのに、
進捗状況がまるで伝わっておらず、下請けにも出していないまま納品日を迎えてしまったことだ。
第二段階の作業を下請けに出す作業を誰がするべきだったのかを相互確認しなかったのが
そもそもの直接の原因ではあるのだが、この日はそれが15時になって発覚したことについて、
下請けに電話確認を取らなかった僕を上司は真正面から怒鳴りつけた。

僕は電話がどうしようもなく嫌いだ。
誰といつどのタイミングでいきなり会話が始まるのかも分からないし、
生の対話と違って聞き逃してしまうことも多い。電話を置いて「これも言えば良かった」
と後悔することもしょっちゅうある。
これは学生時代に乗り越えられなかった大きな一つの壁だと思っている。
だから、今回のことは自分自身に大きな非があるというのは認めざるを得ない。
この歳になって電話応対もできない自分が情けないとつくづく思う。

これからも、怒られ続けることで社会人としての最低限を身につけられるなら、
電話応対もできるようになれるのなら、この会社に居続ける意味はあると思う。
しかし、僕にはそれができるだけの心の強さが無いということが今日、分かった。
“電話応対ができない自分”を他者から否定されたことに客観的に納得しつつある一方で、
そこを乗り越えたところで、次のボロが出てくるであろうことを自分自身が一番良く知っている。
ここに居続ければ乗り越えられるという確信があればまだしも、
実際には上に書いたような上司への不満、板挟みの現状といった
社内の人間に対する不信感に向上心を奪われており、
成長できるかもしれない、という希望がまったくといっていいほど無い。
その根本的な原因は、一度目のミスに対する会社全体の許容性の無さともいうべきか、
過剰に“完璧”を求める社風にあるのではないかと思う。
常に完璧を求められる環境で成長できないだろうと絶望するその気持ちの裏には、
きっと何をしても怒られるに違いないという自信のなさがあるのだろうと思う。

実は僕の部署では、この短期間で二人の人間が辞めている。
僕自身に対する上司からの風当たりがいきなり厳しくなったのは、
その二人目がもうすぐ辞めるという時期になってからだ。
二人目に辞めた人も、今回と同じような理由で毎日のように小言を受けていた。
僕はその身代わりでしかないのかもしれない、と考えることも良くある。

まだ無事に辞められるのかも分からないけれど、
もし辞めたら次はもう、趣味に近い職種を選ぶことはないだろう。
それは就職活動、ひいては自分の生き方の指針のひとつを諦めるということにもなる。
また、今回は紛れもない“敗走”であり、
その烙印が今後の生活に支障を来すのも安易に想像できる。
収入面から言っても、社会人として間違いだらけの生き方だと言われても否定は出来ない。

けれどこれはひとつの防衛本能であると思う。
既存の自分に心の底から絶望して、趣味のすべてがどうでもよくならない限り、
僕はどうあがいても社会人になれないだろうということが、今回の件でよく分かった。
自分の時間を売ることならまだできる。
けれど、自分の心を売ってまでお金が欲しいとは、思わない。

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