#4034

居場所の話


独り言 自分

それ自体が自分に害を及ぼすわけではないのに
それを楽しむ人たちを否定したくなる気持ちが沸き上がることがある。
ここでいう「それ」に当てはまる文化は、
大抵がメジャーなものだったり、俗っぽいイメージのあるものだったりする。
また、一世代新しい文化であることが多い。
昔から親しんでいるものにそういった文化が入ってくると、
突然自分の敷居に見知らぬ人が土足で上がり込んできたかのような不快感に襲われることがある。
結局、ある程度不平を言ったところで
「古い自分が立ち退くべきなんだ」といつの間にか自分を責めている。
もうそんなことを長く繰り返してきたように思う。この気持ちは一体なんなのだろう。

そういった新しい文化は、
「本当は興味があるけれど、それを自分が嗜んでいるのを他人に知られるのが恥ずかしい」
と感じる程度に低俗である (という先入観が存在する) 場合が多い。
本心では年相応ではないと分かっているのか、
実際にはそれを他人に見られるという危険性は無いと分かっていても、
自分を客観的に見ている自分がその行動を妨害して憚らないのである。

これは新しいものに順応できない自分の欠点と割り切るのが正しいのだろうか。
あるいは、昔からの不文律を平然と壊そうとする圧倒的多数の新しい世代を恨めばいいのだろうか。
それとも恨んだり悔やんだりする前に、何も考えずにそこを立ち退くのが正解なのだろうか。

それらを積極的に受け入れたくなる気持ちになることもあるし、
逆に、ひたすら排除したくなる気持ちになることもある。
心がある種の孤独感で満たされているときは、後者であることの方が多いように思われる。
しかし孤独感を解消したらそれらを受け入れられるかと言うと、どうやらそうでもないらしい。

何でもかんでも受け入れられるようになるべきだとは思っていない。
何も否定できなかったら、それはきっと何も肯定しないことと同じことだと思うからだ。
受け入れられない文化を、客観的な視線を無視してバッサリ切り落としてみるのも、
いろいろな文化に日々触れるに当たって必要なことなのかもしれない。
しかしそれは思いの外、勇気の要る行動であるらしい。
その勇気を持つためにまずは、
確固とした「これだけは否定できない文化」を持つことが重要であるように思う。
結局、新しい文化が入ってきてはイライラするのも、
自分が何を好きなのかすら理解できていない慢心が原因なのではないか。

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