#4100

おはなしの話


文化 独り言 自分

学生時代、就職活動をするにあたって、いわゆる大人に言われ続けてきたことのひとつに
「社会人になるならコミュニケーション能力を磨きなさい」
という言葉がある。
当時の自分はその曖昧の言葉を自分なりに定義する前に、
自分にはきっとコミュニケーション能力がないんだろう、という結論にしがみつき、
さも自分が就活をできないのは得体の知れない何かが邪魔しているからだと言わんばかりに、
コミュニケーション能力が無いことを言い訳に足踏みを続けてきたように思われる。

実際に学生という立場から離れて丸二年が経った今
そのことについて改めて思いを巡らせてみると、
確かにコミュニケーション能力と言われているものが必要だったということに関しては頷ける。
往々にして社会の身分差というものは、
自分が伝えたいと思うことを純度が高いまま相手に伝えられる人こそが高い地位につき、
逆に、自分の言葉を発信する力を持たない人が低い立場に留まっているように見える。
伝えたいことが思うように伝わらないと思ったよりも人は苛立つし、
また逆に伝えたいことが思った通りに伝わると思っていたよりも嬉しく感じるものである。
仕事の中身にかかわらず、コミュニケーションのパイプが上手く通らないがために、
聞く力がない人間が損な役回りをする場面をこれまでに何度も見てきたし、
一時は僕もその一例として見苦しく立ち回っていたことは否定できない。

学生時代の僕は、コミュニケーション能力が必要だと言われたとき、
その正体はきっと「話す力」のことなのだろうということはぼんやりと考えていた。
しかもそれは、前を向いてハキハキと相手の目を見て話すべきだというような、
どちらかというと社会マナー的なところに視線を奪われていたように思う。
しかし実際に伝達能力において大切なのはそんな表面上のことではなくて、
聞いたことを自分なりに咀嚼してそのレスポンスを考えられる能力の方だということに、
最近になって遅まきながら気が付きつつある。

コミュニケーション能力とは、
単に話したり書いたりする上で社会マナーから逸れないためにコントロールできる能力ではなく、
人に好かれるために伝え合うことができる能力だと言えるかもしれない。
だとしたらコミュニケーション能力“だけ”を磨こうとする姿勢は無意味だ。
結局人に好かれようとするためにはまず自分が自分の人生観を肯定できなければならないし、
それに必要な力はただ単に伝える技巧そのものを磨くこととは異なる力であるように思われる。
本当の意味でコミュニケーション能力が達者である人は、
もしかすると、いわゆる大人の中でもあまり多くないのかもしれない。

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