#4169

封じ込められた羨望の壁


文化 自分

我が家では猫の誕生日でもある時の記念日から、
樫尾俊雄発明記念館という場所で各種スマートウォッチの展示会が行われているようです。
(参照:樫尾俊雄発明記念館で歴代の多機能時計を特別展示 – 一般社団法人樫尾俊雄発明記念館)
もしやと思ってそのリストをよく見てみると、
以前「どうしても思い出せない」と書いたGPS付き腕時計のことも載っているではないか。
少し前にも話題にしましたが (参照:#4060「点と線で結ぶ言語」2015年02月28日)、
自分は中学時代の短い期間、腕時計に妙に熱中していた時期があり、
そのときに見たのがこのGPS付き腕時計でした。PRT-1GPという型番だったんですね。
画像検索してみたら実に14年ぶりにその姿を見れましたが、
確かに当時の自分ならベタ惚れしそうな外観でした。
GPSという機能も、当時は「よく分からないけれど凄い!!」とか思ってたんだろうなぁ。
時は流れ、今やスマホに当然のようにGPSが搭載されるようになり、
Googleマップを開けば瞬時に自分の位置が地図上で分かるようにまでなりましたが、
スマートウォッチに抱いていた羨望の眼差しはスマホには向けられず、
本当にもう当たり前の機能として浸透してしまったような感じがします。

なんというか、腕時計に対する羨望の眼差しはそれが小さいから向けられるのであって、
一回り大きい携帯端末は結構何でもできるのが当たり前なので、
その当たり前の範疇を大きく超えないとなかなか一個の端末として魅力を感じにくい、
というのはあると思います。だからこそ携帯機種変も回が進むにつれて、
そこまで丹念に調べたり期待したりしなくなっていきました。
GPS付き腕時計に当時憧れたのは、「人工衛星から電波を受信する」ということが
腕時計のような小さな端末で出来てしまうということが、
当時の自分にとって想像の外だったからなんじゃないかと。
あと金銭的に手が届かないモノだからこそ憧れるというのもあると思います。
高校時代も17万円くらいのモバイルPCにそれはもう憧れたものでした。

昔のように小物一つにあれだけ夢中になるようなことは歳を重ねるごとに少なくなっていき
最近はめっきり少なくなってきましたが、
でも今後も誰かしらの発明品を探す限り、出会うことはゼロではないと信じています。

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