#4416

二十年後の話


独り言 自分

2006年の10年後、というとそれは何だか静かで真っ白い空間に投げ出されたように感じられるが、
2016年の今日、というと急に色付いて賑やかで、でもどことなく薄暗くて物足りない現実になる。

2006年の僕が今現在の僕を見たらどう思うだろう。
また、2016年現在の僕が2006年の僕を見たらどう思うだろう。

お互いに言いたいことはたくさんあるだろう。
謝りたいこと、叱りたいこと、誇りたいこと、訊きたいこと、忠告しておきたいこと。

10年前の想像力から絞り出した詩に込められた未来を今、眺めてみると、
申し訳ないくらいに変われなかった10年後の自分がいる。

もちろん、本当の意味で変われなかったわけではないだろう。
変わりたくないと藻掻きながら、いつの間にか変わり果てたものもある。

過去の自分と今の自分を天秤に掛けることはあまり意味がない。
それはどちらも同様に気分次第で蔑みたくなったり、かけがえのないものになったりするからだ。

「過去の自分より優れて当然だという意識は無意味だ」と言い聞かせようとしているのは、
本質的にはどちらも変わらないということを言いたいんだろう。

今の自分ではない何者かになりたいという意識は強くある。
でも一方で、何者でもない自分を安易に手放したくない、手放せないと思う気持ちもある。

思春期の時代に凝り固まったこれと今後一生の間付き合っていかなければならないことを、
時に受け入れようとしたり、時に納得がいなかくて殻を破りたくなることがある。

2006年当時の僕は殻を破りたかったのだろう。
当時の青臭い年齢を考えれば、自分の限界を認めようとしないのも至極当然の話ではある。

では、2016年の自分はどうだろう?
これが自分の限界なのだろうか? 殻を、破るべきなのだろうか?

ふと気が付いて目を開けると、
あの日見た白くて静かな世界は、今もまだ10年先の未来にあった。

2016年の僕にこんなことを言う資格はないのかもしれないけれど、
2026年の僕には是非、この十年間がかなえられなかった十年前の詩をかなえて欲しいと願う。

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