#5751

人の世の歩み方


備忘録

小池一夫『人生の結論』(朝日新書、2018年)を読みました。

著者の小池さんはTwitterで80万以上のフォローを抱えるインフルエンサーであり、
元々は1970年代の作品『子連れ狼』を代表とする漫画の原作者です。
高橋留美子や堀井雄二といった現在は超大物クリエイターに育った人たちを育てた、
「小池一夫劇画村塾」の創設者としても著名。
そんな大物クリエイターが、今年04月に亡くなる直前に人生80年を振り返って書き下ろした人生訓。
大手書店がピックアップしていたのをきっかけに買って読んでみました。
なお、本書はいわゆるエッセイ集であり話の繋がりは存在しないため、
あらすじは割愛とします。

*  *  *

自分を愛せる程度にしか他人は愛せない
(本書より引用、以下同様)

本書で一番衝撃を受けたのはこの一言でした。たしかにそうだ、と言わざるを得ない。
自分を好きでもない人が他人を好きになれるはずがない。
自己理解を超えて、世界を知ることもない。
他人を攻撃する人、揚げ足取りをする人、そういう人種はたいてい、自分を愛していない。
自分を愛せない人は他人を憎み始める。
では自分を愛するということはどういうことなのか?
小池さんは、別章で「余裕のある人が優しくなれる」「自分を雑に扱わないことが大事」
「人生の基本姿勢はリラックスしているくらいがちょうどいい」と述べています。
自分の人生を丁寧に生きていられる人。
それこそが、「自分」を愛し、そして「他人」を愛せる人なのかなと自分は解釈しました。

自分に譲れない都合があるように、他人にも譲れない都合がある

小池さんが言うには、世の中の人と人の対立は「正義と悪」という構図ではなく、
「自分の正義」と「他人の正義」のぶつかり合いが多いと指摘します。
敵対したから、相容れないからといって、のっけから話し合いを諦めるのは勿体ない話で、
お互いに違うものを持っているからこそ話し合う価値があるというもの。
自分が主張することも大事ですが、それと同じくらい相手の主張に耳を傾けることも重要です。
小池さん曰く、仕事ができる人は、必ずといっていいほど他人の話をよく聴きます。
他人を雑に扱いません。
何らかの問題が起き対立したからといって、必ずどちらかが正しいというわけではありません。
誰のせいでもないという第三の選択肢もあるということを胸に留めておくべきです。

僕は、ただでさえしんどい人生で、不得意なことに手を出す必要はないと決めています。
すごく単純な人生の結論なのですが、
そういう小さな人生のコツに気がつけば、随分と生きやすくなるものなのです。

これは個人的にすごく共感した一節です。
大人の社会は、義務教育の社会と比べて「やりたいこと」の取捨選択ができるようになっている。
もちろんどんな職業に就いても、やりたくないけれどやらなければならないこと、
というのはついて回ってくるけれど、それをどう受け入れるかも個人の裁量に委ねられています。
だからこそ、できる限り自分の欠点も受け入れてくれる環境・人と接するようにする。
敢えて苦しむ必要はないのです。少なくとも今の社会はそれが選択できるということなのでしょう。
不得意なことに努力をつぎ込むよりも、
自分が不得意なことはそれが得意な他人に任せて、自分の得意分野を伸ばした方がよほど効率的です。

誠実に生きているよりも、
闇に飲み込まれた人たちの声が大きく聞こえるのがネット社会だと思っています。
その大半は、頑張って戦っている人たちを、
自分のレベルまで引きずり下ろしたいという歪んだ心の人たちです。
なぜなら、頑張っている人のレベルに近付こうと努力するよりも、
頑張っている人を引きずり下ろそうとする方が簡単だからです。

小池さんは、例えば平昌オリンピックで頑張った選手たちですら、
検索するとサジェスト候補に「嫌い」などといったネガティブなワードがあることに驚き、
「彼らですら嫌いな人が一定数いるのだから、
一般人である我々が誰にも嫌われないなんていうことはありえない」と断言しています。
でも、そういう人たちは相手にしなくていい。
自分に自信がない人たち、余裕のない人たち、視野が狭い人たち、
子ども時代に無償の愛を受けられずに育った不幸な人たちというのは必ず一定数いて、
そういう人たちは成功者を妬み、憎み、足を引っ張ろうとするけれど、
彼らは相手にしてはいけません。相手にするだけ無駄です。
あなたに敬意を払わない人に、あなたが敬意を払う必要はないと小池さんも言っています。
八方美人は疲れるだけで良いことはありません。それよりも付き合う相手を選ぶべきです。
小池さんは、「無駄に人に好かれようとすると、人に利用される」と警告しています。
特に顔の見えないネット社会では重要なことなのではないかと改めて思いました。

苦労は報われてこその苦労であり、身に付くものです。
無駄に苦労を重ねて人間性が磨かれるということはないし、
苦労が人を育てるということもありません。

小池さんは「苦労は買ってでもしろ」という言葉に対して否定的です。
努力は、かならず報われるとは限りません。努力の仕方をきちんと考えなければ、
徒労に終わる努力も世の中には多くあります。
しかし、人生に苦労はつきものです。それを避けて通ることはできません。
苦労をなくすことはできませんが、減らすことはできます。
それは「他人のせいにしない」ということです。
「自分が苦労しているのは世の中のせい」と責任転嫁することは実に簡単ですが、
それでは八方塞がりになってしまい、ますます自分が苦しむだけです。
人生は、いかに配られたカードで勝負するか。
小池さんは「自分原因説」を信じていると言います。
いかなるときも自分に原因があり、だからこそ自分がその状況を切り拓くことができる。
他人のせいにしていては、いつまで経っても次のステップに進むことができません。

人生に迷ったときは、人として美しい方を選べばいい。楽しい方を選べばいい。
相手が喜んでくれるほうを選べばいい。何も難しく考える必要はないのです。

「あとがき」に書かれたシンプルな人生の結論。
小池さんは「大人」の定義として、
「人を傷つけることもあるし、傷つけられることもある」ということを理解していること、
「自分を許し、そして誰かに許されていること」ということを理解していることを挙げています。
人生は選択の連続。ならば、シンプルによりよい方を選んでいける人生こそがよりよい人生のはず。
「自分は所詮この程度だ」と自分の可能性を閉じてはいけません。
82歳の小池さんは、「まだまだこんなもんじゃないぜ」と自分の可能性を信じていると言います。
その年でそのような考え方ができるというのは、本当にすごいことです。
これだけでも尊敬に値すると心から思いましたね。

*  *  *

全体として思ったのは、
「自分」というのは「他人」のふるまいまで責任を持つ必要はないけれども、
その代わり、「自分」というものが何なのかを深く知り、それに基づいて適切に行動することが
個人には求められているのではないかということでした。
フォロワー90万人の小池さんは、
きっとろくでもない奴からのクソリプに日々困惑していたことでしょう。
それを「いろいろな人がいるなあ」と達観することは結構すごいことだと思うのですが、
他者と自分をそういう距離感で客観視することは、とても大事なことではないかと思いました。
どんな相手にも敬意を持って接する。歪んだ人が近付いてきたら遠慮なく遠ざける覚悟を持つ。
万人に好かれようとはしない。
他人からのアドバイスを鵜呑みにせず、他人のせいにせず、最終的には自分の判断を信じる。
そのために、いつでも他人に対して寛容になり、自分に対しても寛容になる。
それが大人になるということ。

老いるということは、必ずしも経年劣化していくということではないし、
10代の時間と60代の時間はちょうど等しく大切なものだと小池さんは言っています。
「自分はこの程度なんだ」「もうこんな年だからできることも少なくなった」
など言って人生を諦めると、本当に人生が終わってしまいます。
だからこそ、自分の可能性は尊重していきたい。
小池さんは、「年を取ることの喜びのひとつに『自分の可能性が少なくなる』ということがある」
と言っています。なぜそれが喜びなのかというと、
若い頃は自分のいろいろな可能性の多さを追い切れずに苦しむけれども、
年を取ってくるとそれが少なくなるので、自分の可能性に集中できるというのです。

誰しも老いれば自動的に大人になるのではない。それには必ず覚悟が必要だけれども、
決してそれは悲観するものではないと小池さんは言っています。

過去や他人と自分を比較する不毛な妄想はもう止めて、
これからはいかに自分が自分だけの人生を歩むかを考えていきたい、
そんな風に勇気づけられる一冊でした。
自分も死ぬ前にはこんな風に「人生の結論」を言葉にできたらいいな。

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