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何の為に本を読む


文化

今日、通院の帰りにカフェに寄ってきたのですが、
そこで先日の日帰り出張の際に新幹線車内で読み始めた250ページあまりの本を読み終えました。
読書する習慣がなかった自分としては、
一週間でこのボリュームの本を読み切るのはかなりハイペースです。
それというのも、新幹線やカフェといった環境のおかげかなと。

現時点で執筆済みの2019年読書録は4本、執筆待ちの読了本が2冊ということになり、
読んだ冊数で言えば過去最高だった去年に追いつきました。
いろいろな趣味が衰退している中、読書量だけは2017年から順調に増えてきており、良い傾向です。

自分が「読書録」タグでブログを書き始めたのは2017年からですが、
もちろん2016年以前も読書自体はしていました。
が、2016年以前の読書というのは読み切れた数というのが圧倒的に少ないんですよね。
2011年に買って数年かけてなんとか読み切った『フェルマーの最終定理』くらいでしょうか。
では、2016年以前と2017年以降では何が違うのか。

2016年以前の自分にとっての読書というのは、一言で言えばロマンでした。
「これを知ることができたらカッコいいだろうな」
というような価値観によって本を選び、そして読んでいました。
要するに自分に無いものに対する憧れでしかなかったわけです。
そしてその結果、ほとんどの本を読了せず、読書癖も付かないという散々たる結果でした。

対して2017年以降今現在の自分にとっての読書というのは、
自分が知りたいと思うものを教えてくれる「先生」のような存在です。
なので、ロマン的な要素は読書から見出せなくなりました。
読む本も、哲学、数学、宇宙論、生物学といったロマン溢れるカテゴリからは離れ、
より実生活に密着した新書などのカテゴリが多くなりました。
そしてその結果、年間1冊も読めなかった自分が今、年6冊は読めるところまでは来ています。
それでも社会人にしてみればまだまだ非常に少ない方なのでしょうが、
自分にしてみればこれは結構な成長だと思っています。

そう、自分にとっての本というのは先生のようなものなんですよね。
社会人だからこそいろいろなことが分からなくて参るのに、
学校生活と違って「先生」になってくれるような存在があまりにも少ないように思います。
少なくとも自分は、前の会社ではかわいがる後輩には恵まれたように思いますが、
人生の先輩と言えるような人にはなかなか出会えませんでした。
まぁ、年上の同僚はもちろんいたので、そういう人に学ぶ機会はもちろんありましたが、
何しろブラック寄りな会社だったので、
上司以上の人間の意見が人生観を構築する上でまったく役に立たなかったことは致命的でしたね。

しかし、本というのはそれを補完してくれる存在なのだと、ある時に気づきました。
過度にロマンを追いかけなければ、
自分の知りたいことを分かりやすく教えてくれる本というのは無数に存在します。
ネットで済むという考え方もあるかもしれませんが、
ネットの情報収集というのは限界があって、どうしても浅いところまでしか知ることができません。
その代わり、ものすごくニッチな情報も置かれているのがネットです。浅く広いんですね。
対して本というのはひとつのテーマに対してとことん掘り下げられているので、狭く深いです。
深く潜ってみないと分からないことというのは多くあって、
最近の自分は、それこそが自分の知りたいことであるという場面も多くなってきました。
要するに、自分の悩みや知識欲の不満を解消するには、
ネットの表面的な情報だけではもう不十分なんです。もっと実践的な知識がほしい。

まぁ、常日頃からこんな高い意識を持っているわけではないですけどね。
家で読めないのは昔から変わらないですし、この辺は本当にホテルや新幹線の効果が大きいです。

ロマンを追いかけるのがダメというルールもないので、
そのうちたくさん積み上がったロマン本も崩していければいいなとは思っていますが、
なんにせよ今年は読書量最高記録タイまで来たので、
これからも読み続けて最高記録を作っていきたいところです。
そのためにも今自分が何を知りたいのか、というのは日頃から言語化しておきたいですね。

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