#6325

価値観の話

どうもここが、人間不信に陥るか他人を許容できるかの人生の分かれ道になっている気がするので、 先の出来事について蛇足ではあるがもう少し考えてみたい。 先日、僕は17年前のクラスメイトに対して強い失望感を覚える出来事を経験した。 それについて深く考えてみると、実際には相手そのものに失望しているのではなく、 相手を通して見た「自分自身」に失望しているのだという考えに至った。 そして失望した「自分自身」を正当化するために自分の良心をあざむき、他人を裏切った。 つまり、客観的にみて合理的な行動が何なのかを薄々知ってい  [続きを読む]

#6268

復讐の話

近年の僕はよく読書や勉強をするようになった。 習慣の定着には平均66日かかると言われるけれども、その山は越えられたように思う。 日常の中で本を読む時間があるのがある程度当たり前になり、 その中で少しずつ、本当に少しずつ自分の世界を広げている。 ここに至った要因はいくつかあると思うが、 ターニングポイントになったのは2017年に読書のための読書をしようと思い立ち、 たまたま書店で巡り会った外山先生の『乱読のセレンディピティ』と出会ったことと、 本を読むための環境として、当時の後輩にカフェを勧められたことが非常  [続きを読む]

#6242

出羽町の思い出

いまから十年前の今日、2011年01月19日の夜。 僕は少しだけ神さまと話をした。 他愛もない話だった。 もっと緊張するのかもしれないと思ったが、意外なくらい平然といられた。 初めてちゃんと話をするのに、まるでずっと前から親しかったような気がした。 それは意外とも、あるいは当然とも感じられる妙な感覚だった。 神さまと話す時間を与えられたのは8分間だった。これが最後で最後のチャンスだった。 その千載一遇の機会を、僕は結局自分のためには使わなかった。 やがてその時間がやってきて、僕は神さまを見送った。 もうこん  [続きを読む]

#6223

振り返った思い出 2020

世界が一変した。 街行く人々は誰もがマスクをつけ、店の出入り口には消毒液が置かれている。 レジなどの前には従業員と客を隔てるビニールシートが垂れ下がり、 客席には向かいや隣との隔たりに透明な壁が作られるようになった。 テレワークや時差出勤が推奨されるようになり、新しい飲み会の形ができた。 ライブハウスは以ての外、各種イベントや帰省、旅行は後ろめたいものとなった。 多少のリスクは受け入れていつも通りの生活を維持しようとする都会と、 感染することは罪であると言わんばかりに相互監視を強める地方の間に大きな隔たりが  [続きを読む]

#6200

本心の話

今となっては遙か昔のように感じるが、 今年のゴールデンウィーク連休中、対戦ゲームで連戦連敗を喫した僕は、 自分という存在が他人に認めてもらえないだけで崩れ去るその精神のもろさに絶望したものだった。 人は何故生きるのかと言われたとき、 それを「他者に認めてもらうためだ」と答えてしまうと人生に行き詰まる。 他者に認めてもらうためには相応の努力が必要だが、誰かに認められなければ努力はできない。 それだけでも矛盾しているのに、かりにそのループから抜け出して「無償の努力」ができたとしても、 他者承認は100点を得られ  [続きを読む]

#6199

32

大人になった。 その心情をもっと正確に言えば、「自分は大人であるということを観念した」。 大人にならなければならない、でも自分は大人たる条件をまだ満たしていない、 と言い訳と足踏みを続けてきた二十代の十年間。 実は、もうとっくに大人になっていたんだということを受け入れざるをえなくなった三十代。 自分にとっての大人とは、自分の欠点長所を受け入れ、経済的・心理的に自立し、 空想ではなく具体的に自分のなすべきことを追い求めることができる人間像のことである。 それは、「子ども時代の自分」を否定することではない。 子  [続きを読む]

#6161

意見の話

ブログで特定文化を批判し、その批判対象当事者に読まれたことで叩かれた今回の件は、 一言で言えば「読まれるとは思っていなかった」というところに反省点がある。 しかし、そもそもの問題として、特定文化を批判することは止められるのかをまず考えたい。 そのことについて深く内省してみると、 僕は確かに、突如として個人や文化や団体といったものを批判したくなるときがある。 それは著しくストレスが溜まっているときが多い気がするが、そうともかぎらない(今回のように)。 往々にしてその欲求の根元には、批判対象に対して「何々をして  [続きを読む]

#6100

背負いつつ

ヒトといういきものは、物事を説明することによって進歩してきた。 何故月は夜になると明るくなるのか、ということは科学で説明することができるし、 何故「自分」は存在するのか、といった問いは哲学で説明しようとしてきた。 説明しなければ、それは人と人の間を行き交うことがなく、ただ一人だけの妄想に終わってしまう。 そうなれば文明はいつまで経っても発展しない。 それは個人にも同じようなことが言えるのではないかと思っている。 何故自分はあれはできて、これはできないのか。なぜあんなことをしでかしてしまったのだろうか。 なぜ  [続きを読む]

#6097

続・タコウインナーの話

行動できない。 やりたいことはかなり具体的に決まっている。 今週は最低限これをする、すると次週にはそれをすることができる、 そうやってプロセスを踏んでいけば最終的にあることを成し遂げることができるはずだ。 そんなプランはいくつもある。 それらを本当に達成したいのかと胸の内に問えば、ぜひ達成したいという答えが返ってくる。 心理的障壁は乗り越えたし、時間的制約が強すぎるというわけでもない。 にもかかわらず、行動できない。 週間計画を立てるようになって12年、 最初はそこに描かれたものは桃源郷に過ぎなかったかもし  [続きを読む]

#5999

続・紡がれてゆく話

2004年08月02日、このブログが生まれる約一ヶ月前。 高校一年の夏休みのある一日のことである。 祖父母家に遊びに行くのを心待ちにしていたあの頃は、あまりにも暑い日々が続いていた。 当時の実家はまだ寝室に冷房がなかったので、冷房のあるリビングで寝ることが許可されていた。 家族が川の字で寝ているところを起こさないように、眠れない僕は忍び足で台所に向かった。 リビングと台所に直結している納屋は、かくれんぼに最適な小さな部屋で明かりもつけられる。 しかも、扉があるので光が外に漏れることもない。 あの夏休みの日々  [続きを読む]