#123

一瞬の思い出


今日の出来事 独り言 自分


「なんか割と前の家と変わりなくない?」
「確かに」
そういって入った。
中も、寧ろ狭くなって、あれはあのままだった。
そして暗い。
今は何時頃だろうか。

僕は帰省となると行き先が何処であれ期待する。
「仲間」が集まるからだ。
と、いっても祖父の家に集まる従弟(従姉妹)に他ならないが。
全部で12人。
それぞれがそれぞれで、仲の悪い関係もあるようだが、
記憶のない頃からこうやって年3,4回集まっていた。
一番年上は僕と、他女子2人の16歳。
一番年下は共に男子の6歳。

いつもそれは、かけがえのない時間になる。
そして一瞬の思い出となる。

引っ越しして気持ちが新たに出来ると思いきや、
まるでからくり屋敷のこの家は、初日は大好評だった。
まえのボロ屋と比べるとトイレ等も改善され、
いくらか住みやすくなった。
狭いのは変わらないが。

12月31日。
まだそれが分からないでいた頃、8時。
休日にもかかわらずこんな時間に起きたのは、
きっとそれだけ心の底から期待していたのだろう。
おおみそかの日記を書いて11時に出発。
車の中で寝ようとしたが眠れず、13時に着く。
空は大雪、心の中は快晴だった。
ところが意外と小さいその家にがっかり。
家にはいるとチワワがいた。
2階に行くと個室があった。
大体4畳半で、大きなテレビがある。
端っこにドアがあり、さらに奥へ進める。
そこには、倉庫のようにがらくたがいっぱいあった。
ハンガーが数え切れないほど、
扇風機が4台。
しばし眺めているとさらに奥へ進むドアがあり、
その奥には窓のない(さっきのへやも窓はなかったが)、
狭い、狭い、暗い部屋だった。
しばらく雑談や音楽鑑賞などで時間を潰していると、
夕食との伝言を預かった。

5時半。
早すぎる食事会。
目の前には一口ハンバーグ、のみ。
あとは食卓に適当なおかずがならべられている。
ぱっと見、あいかわらず素朴なご飯だな、とも思ったが、
口に出すのは泊めてもらっている側として
あまりに失礼なので、やめた。
あまりおなかがすいていなかったので5分で済まし、
またさっきの4畳半の部屋へ。
あと13時間25分。
これからの事を話し合ったり、ゲームをしたり、
テレビを見ていたりすると、時計は10時半を指していた。
今年最後のゲームとして、「直感ヒトフデ」をプレイ。
プレッシャーに後押しされ、絶好調の状態で集中。
過去最高記録は510ライン。
それを超すのが今年最後の目標だった。
夢中でプレイしていると階下から声が。
「年越しそば食べるぞー」と。
やむを得ないのでポーズし、そのまま持っていくと、
そこにはある意味夕食より豪華なそばが並んでいた。
祖父が、
「OOO(僕の名)のとこのお母さんが仕事で、
もう帰らなきゃならないので、今年は早く年越しそば食べます」
と、大勢の前なので教師っぽく振る舞い、
「残すなよ」と言い切った。
その間、ヒトフデは最難関500-600ラインを抜けた。
またスリープして、とりあえず食べる。
11杯食べ、またヒトフデを始める。
あわただしいのは、今年がもう少しだったから。
結局500-600ラインの難易度を遙かに上回る
700-800ラインに差し掛かり、
当時の自分の限界に達して、ゲームオーバー。
1000ラインいけなかったが、
最後に悔いのないプレイをしたと思う。
またも4畳半の部屋で、テレビをつける。
紅白歌合戦が終わった。紅が勝った。
のこり15分で今年も終わる。が、
まだそんな気はしなかった。
未成年12人が全員この部屋に集合し、
いつのまにか残り10分だった。
振り返ればこの時は、ほんの一瞬だったような気がする。
テレビの向こうのライブも最高潮に差し掛かり、
いよいよ残り1分となった。
僕はその頃意識がなかったのか、いつの間にか従弟達の、
「10!9!8!」
という、カウントダウンが聞こえてきた。
心の中では「えっ、もう?」だけでいっぱいだった。
「3!2!1!2005年、おめでとー!」
心の中では「終わった」だけでいっぱいだった。
みんなとあけおめを言い合い、2005年を祝った。
だがだれもが、本心そんな実感はなかっただろう。
ライブが五月蠅い中、2005年が刻まれ始めた。

1月1日。
興奮止まない狭い家の中も、テレビを消すことで
しだいに落ち着いてきた。
祖母が入ってきた。
「お年玉渡すから、したに来て。
でもおじいちゃん酔ってるから、あまり変なこと言わないでね」
といって、みんなを誘導した。
「えー、みなさん、あけましておめでとうございます」
に始まり、短い演説は
「小さいじゅんに入ってきて」
で終わった。
僕は5000円だった。納得いかないが、
ここで反抗するわけにいかない。
とりあえず「大金が入ってた、嬉しい!」の振りをし、
階上に去った。
それから従弟の主催のクイズ大会を楽しみ、それが終わると
従姉妹らは寝た。
その前に先立って寝た者もいたが。
残りは男子のみになり、ここからが本番となる。
時計は2時半を指していた。
残り4時間半。
まとまった投げテープの跡を見て、
ごく僅かだが2005年のような気分になれた。
空は静かだった。
「なにをしようか」
この言葉は耐久不眠中、何度だれが口にしただろうか。
人数、持ち物が完璧なのにかかわらずヒマだった。
DSなどで時間を潰したが、
いつの間にか一人寝ていた。
さらにもう一人寝た。
夜が明けてきた。
僕は音楽を聴いていた。
テレビの向こうでは、富士山からの初日の出を中継していた。
そのうちに一人起きた。
時計は7時を指した。
今年の運を確かめる時間。
が、そのチャンネルは映らなかった。
他のチャンネルでは、テレビをたたくと直る。
が、どうやら電波が遠いようで、これだけ映らなかった。
階下から既に起きていた大人が苦情と心配の意味で駆けつけてきた。
なんとか対応してくれたおかげで、見ることは出来た。
その内、起きているのは僕一人になった。
一人で10人分の今年の運勢を、
あの速度でスクロールする中メモするのは無理難題だった。
半分意識がない中、576通りのランキングの
スクロールが始まった。
5人しか出来なかった。
罪悪感を抱え込んだまま、眠りについてしまった。

夢の中ではにぎやかなクラスの休み時間が展開されていた。
他の場面はもう、覚えていない。

起きた時間は、午後4時だった。
祖父と祖母の対話する声で目覚めた。
しばらく寝ているふりをしていると、従弟達が帰ってきた。
近くの大型店に行ってたらしい。
初詣はしなかったのか、
午前はなにをしていたのか色々聞いたが、
あまり納得出来る回答は帰ってこなかった。
初詣も行かなかったし、午前も特に何事もなかったらしい。
従姉妹達が6時半に帰ってくるとのことで、
先に夕飯を済ませた。
しばらくすると帰ってきた。
「プリクラするっていいだして」遅れたらしい。
従姉妹の母親が言っていた。
その後、「新春隠し芸大会」を観て、
「トリビアの泉」を観て、その後2つ分の番組も
チャンネルを変えずに観た。
もう1日は終わっていた。

1月2日。
2時に就寝。
11時に起きた。昼食をとり、
近くのお土産店へ。
そこで従弟とは別れた。
特にここまでは、今日はなにもしていない。
その後、温泉に行き、帰ったら夕食を済まし、
ほとんど何もしないまま1時に寝た。

1月3日。
9時に起き、朝食をとり、
つまらないのでまた寝たら、
次の瞬間はもう帰る支度をする時間だった。
そして帰った。
あっという間に自宅に着いた。
いつも思う。
「やっぱり自分の家が一番だ」と。

そして今に至る。
今、なんとなく、なんとなく言いたいことがある。
それは、“チップ”でも、“おめでとう”でも、
“ら”でもない。

「ありがとう、そしてゴメン」
それから、次会う時こそ最高の時間にしよう、とも。

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