#744

こころ橋の詩


創作


人は皆 己が心の橋を歩く

隣の人と 手を繋ぎながら


よろめく事もあるだろう

脆い橋が揺れるかもしれない

足がすくんで動けないなら

周りを見渡してみてごらん


目をつぶって走れるものならしてみたい

けれど恐いから前向いて歩くだけ

近くに人がいるならば

最後の手段 手を繋ぐなりして

ともにこの辛い道を行くしかない


人が皆 僕を追い越し過ぎていく

独りになった人 置き去りにして


“もう何もできない”と

挫折 肩落とし 止まる

また一人 僕を追い越す

何か声をかけられても

全て拒否したくなる

哀れむだけならやめてくれ

自分の答えは自分で示すと

はいつくばって進もうとする


「走れよ」

追い越し様いろんな人から言われ

それでも足上がらず

いつかそれが

悔しくて 悔しくて

今まで作った己のプライド

全部捨てて走り出す


人は皆 己が心の橋を歩く

僕の遙か先で

隣の人と手を繋ぎながら


その場所に追いつく為

風を切って走る

手遅れでもいい

大きな大きなあのカタマリへ

独り 全力で走り出す


同じような奴がいた

僕の前で落ち込んでいた

「進もう」

少なくとも 別れ別れになるまで

歩こう

涙ぐんでも

どんなにどんなに辛くとも

一緒にいれば きっと恐くない 大丈夫だから

仲間っていいね

心開くってこういうこと?

Bridge width becomes wide ; therefore

――なんだか強くなれた気がする

——————————–
60作目。大台の60作目です!このペースでは70作目はいつになるのやら・・ですが。
久々に長い詩を書きました。全体的には世間に見放されたと自棄する人が、
ある日突然立ち上がって開き直るのを“果てしない橋”に例えたようなものです。
そして同じく自棄する同士を見つけ、支え合っていく。
世間を渡り歩く同士と話し合うことを“手を繋ぐ”と書いて、
その立ち直りの連続性を表現した詩です。
「人生とは道をよろめいて歩いているようなものです」
と中学卒業寸前、教頭先生の話のなかにそういう言葉があり、今も覚えていますが
それを自己流にするなら道ではなく、橋だと僕は思っています。
道は転んでも痛いだけですが、橋は崩れ落ちてもう生きられないかもしれない。
これを恐れてしまう人を描いた作品・・のつもりです。

コメントを残す