#849

文化祭の思い出


今日の出来事 独り言 自分


1学期も終わりに近づいた頃が、文化祭最初の足跡だった。
クラス企画で何をするかということをホームルームで話し合う。
結果、非常に典型的な「出店」で決まった。金魚すくいといった縁日関係は却下され、
「たこ焼き屋」をする事に決めた。

それだけでは物足りないという事で、さらにかき氷と
ぽっぽ焼き――新潟の祭りにのみ存在する黒砂糖をカルメ焼きのように膨らませたお菓子――
を追加する事にした。それから数週間後、各役割分担を大雑把に決めた。
そこまでで1学期は終わりとなり、2学期が始まる。始業式の週は不真面目に進むが、
週末の休日は希望者が登校して準備を行った。
次の日の月曜日から木曜日までは、基礎完成に向けた準備が進められた。
具体的には結局失敗したがミニチュアの作成、屋台の土台作り、そして入口の装飾など。
ここまでは普通にそれぞれの日の記事に書いてきたと思う。

緊張感や本格性が増したのは金曜日からだった。
この日は文化祭準備前日にして、このブログの2周年を迎える日。
水曜日ぐらいまでは「この日は適当な時間に帰ろう・・」と思っていたが、
そうもいかなくなった。
12時半から準備を始める。教室大改造から始まり、暗幕張り、
屋台側面作成といった大作業が併行で進行する。僕は後者を手伝った。
マジシャンのたまごことS君が設計図を書き、それ通りにノコギリで木材を切る。
6つ作った頃には3時半を過ぎており、
「間に合わないかもしれない」という危機感が頭をよぎった。
4時過ぎからは僕は他3人と一緒に校内にポスターを張り回る作業をした。
1階から4階を右往左往してグタグタになって帰ったころには
3つの屋台の「骨」が完成していた。
次にその屋台内に設置するカウンターの机の足部分を隠す為に竹を切って並べる。
最初、長い竹をそのまま寝かせて上に載せてビニールテープで吊したが
完成間際で切れてしまい、悩んだあげく竹を立てて横に並べる事にした。
中途半端な竹の長さのため、
70前後の短い丈を作る為にはそれとほぼ同じ数の切れ目をノコギリで切る必要がある。
おそらく、準備の中で一番大がかりだったのがこれだった。
男子の3分の2近くがこれに専念してくれたおかげで信じられない速度で作業は進み、
スズランコードを吊すと、元教室には3台の屋台が設営され、雰囲気は180度反転した。
いつの間にか暗幕で隠された時計は20時45分を過ぎ、完全下校15分前の放送があった。
しかし仕上げ作業や後かたづけは終わらず、残りは明日の朝ということになった。
下校時刻は9時を少し過ぎ、明日の集合時間は来れる人は午前5時半と決まった。
帰り道の月がめったに見ない角度に傾いていた。

文化祭当日1日目。
奇跡的に5時に起きた僕は6時に学校に着いた。
登校路は車がほとんど通らず、かなりスッキリしていた。
教室ではBGM用の音楽がガンガン鳴る。
立て掛けた竹の調整や客席準備、マジシャンのたまごことS君がやるという
マジックの舞台設置など。食券売り場なども完成させ、8時半の通常登校時間を迎えた。
もう完成していないなどとは言えない。ここで長かった準備時間に終止符を打つ。

体育館のオープニングセレモニーで文化祭は幕を開ける。
校章から由来して“たちばな祭”と名の付く祭りは遂に賽を振られた。
相変わらずの校長の話、しゃべり方が多少気持ち悪い生徒会長の話。
これらが終わると、スペシャルゲストの1人目として明治大学から応援団がやってきて
いわゆる“応援歌”が披露された。大太鼓はとにかくインパクトがあった。
それが終わると、これで開会式を終わりますというアナウンスがかかったが、
ステージにいきなり見知らぬ2人が乱入してきた。
「アメリカザリガニ」(“アメリカン”なのかは不明)という芸人。
サプライズゲストとしての登場で、開会式はかなり盛り上がった。
知らないのでシロウトかと思いきや結構笑わせてもらった。多分、文化祭で一番笑った。

10時30分、自由行動の時間が始まる。調理班が屋台に座り、
最初の先生の購入で火蓋は切って落とされた。
今年から一般公開(つまり前回までは客は生徒のみだった)になるため、
他校の生徒や老若男女さまざまな人も入るため、かなり多数の客が来る。
さらにほぼ同じ出し物をするライバルの3年10組などの価格に張り合って
当初予定していたたこ焼き5個150円のところを、100円まで値下げ。
あとはちゃんと客を呼び込み、どこまで売り上げを伸ばせるかにかかっている。

僕は最初、ポスター貼りのメンバーと微妙に違う3人と客捕まえに行った。
目立たないような余分な箇所のポスターを剥がして、それを持って歩き回る。
途中、警備員を任されている2人の先生に出前を任され、
メンバーが減るということでキャッチは一時休憩することになった。

屋台に帰るとDo君に追加の食券作成を急遽任され、ぽっぽ焼きの食券を作る事数十分。
その間でS君のマジックの披露や、めろんパンことM君のボイパの披露があった。
多数の客が驚きや感動を表情や声に浮かべていたが、
その人達がたこ焼きなどを買ったかはわからない。
しばらく仕事が回ってこなくなり、食券回収カウンター後ろで休んでいた。
小腹が空いたのでたこ焼きとかき氷を買った。おいしさに問題は無いが、
「これはすごい!」というほどのおいしさでもない。つまり普通の品質だった。

食べた後頼まれた追加の食券作りをまたやり、それが終わった後は正真正銘自由時間になった。
しかしもう一人のS君や次男ことH君に付いて回っただけで、
自分がお金を使ったのは飲み物を買った時のみだった。帰り際、
S君から金魚釣りに挑戦して失敗し、努力賞としてもらった1匹をもらった。
自由時間も残り僅かとなり、食券回収カウンターに貯まった食券を数えてみると、
その時点であった食券の分だけでも30400円の利益があった。
が、朝の時点の出費が生徒会から渡された標準資金4万円を遙かに超える11万円だったため、
このままでは支出が収入を上回ってしまう。
自由時間が終わり、先生から報告された実際の収入は4万円だったらしい。
この日は結局、なんのトラブルも無く1日を終えた。

文化祭当日2日目。最終日。
この日の集合時間も5時半と聞いたものの、それは調理班だけらしいので
少し遅れて7時に学校に着くように起きて家を出た。
屋台では既に準備が終わっている為やることは無いが、調理班はかなり忙しかった。
昨日、時間帯によっては特にたこ焼きやぽっぽ焼きに行列ができることもあり、
それを受けて作り貯めしておくことにしたからだった。
大量のたこ焼きとぽっぽ焼きの貯め置きを作る作業で調理室は大わらわ。
予想通り外装係が数人手伝っていたので、その辺に仕事を貰って8時半までやっていました。
主にぽっぽ焼き作りを担当させてもらい、結構楽しくやっていたのであっという間に1時間半経過。
朝のホームルームの為に集合させられたものの、自由行動開始からは再び調理室へ。
8時台の最初こそ客は全然こなかったものの、少し時間が経つと大入り満員に。
おそらくは昨日のリピート客なのか、それらによって口コミで広がったなのか不明だが、
とにかく調理室では
「ぽっぽ焼き全然足りない!行列が出来てる!」
という報告が度々かかり、忙しいことこの上なし。多少の雑さの代わりに作業をスピードアップした。
原料の黒糖水が無くなり、残りのストックを温めるだけの作業になる頃には残り数分。
この日は僅か3時間しか自由時間が無い為、終わりはあっという間だった。
僕は楽しみにしていたドミノも見られず、ぽっぽ焼きまみれになるだけで終わった。
一般の人を滞りなく帰す為に昼休みが設けられ、その時に屋台を前にクラスで記念写真を撮った。
屋台の解体作業の前に男子は胴上げの後にたこ焼きパーティ。
解体作業に掛かろうとしたところで隣の7組の担任で生物の教科担任のA先生が現れ
自宅の暖炉の薪に使えるからと木材や竹の一切を引き取ってくれることになった。
しかしその数分後、
解体の真っ直中に午後の部舞台の最寄りの多目的ホールに移動の放送があり、
片づけはそのままにしてホールに移動した。
そこでは開会式として、各賞発表とミニライブがある。
まずは各賞発表。個人的には、もうほぼ確実に入賞すると思っていたが、
クラス企画は最優秀賞はおろか優秀賞にもはいっていなかった。
それも最優秀賞はライバルである3年10組。
理由は単純で、あっちの方がかなり味が好評だったらしく、逆にこっちは不評の噂もあった。
要は審査員にとっては外装内装より味を重視したらしい。これはかなり悔しい。
クラスの盛りあがりもかなり冷め、そんななか最後のプログラムである、
サスケによるミニライブが始まった。
“サスケ”と聞いても思い浮かぶのは去年ラジオで聞いた「青いベンチ」だけ。
なので深くは期待しておらず、そしてその通りだった。とりあえず、自分好みの歌手ではない。
何より、耳が壊れるのではないかと思うほどの音量のスピーカーのおかげで、
気分は自分のペースではまったく安定していなかった。
もう少し音量が低かったら、もっと楽しかったかもしれない。かなり残念だ。
「青いベンチ」で最後と思いきやアンコールがあり、
パンフレットにもあった「卒業の日」という歌を歌ってくれた。
これが終わってしばらく僕は、聴力が普段の半分になっていた気がする。

これで形式上の文化祭は終わり。しかしこれからは後片づけがある。解体作業を再開した。
A先生のおかげで処理作業はかなりスムーズに進み、あっという間に屋台はその姿を消した。
それより苦戦したのは油をこぼした箇所のぞうきん掛け。
これに男女問わずかなりの人数が処理に掛かり、ようやく拭き取るとロッカーを所定の位置に移動。
机を元通りに戻し、椅子を戻し、5時頃には金曜日午前まであった普通の“教室”に戻った。
帰りのホームルームで数百本の割り箸、ストローや大量のたまご、調味料などを
欲しい人にどんどん渡して捨てられないものを処理していく。
僕は今年ほとんどかき氷を食べていなかったので、かき氷シロップの希望者として名乗りを上げ、
無事にいちご味を手に入れた。今月中に消費したいと思う。

長いようであっという間だった文化祭に終止符を打った。

一昨年、1年5組として「ドミノ倒し」を企画した時は前日までかなり非協力的だった。
前日に19時まで残ってそれまでの分を取り返し、結果優秀賞を貰った。
ちょうどこのブログを設立して間もない頃の思い出だ。

企画アイデアこそ適当だったものの、
最初から最後までどのクラスにも負けたくない団結力で作ってきた今年の文化祭。
自分自身も、一昨年の3乗も4乗も頑張ったつもりでいた。
屋台というひとつの事を完成するために、買い出しや売り物の調理、屋台設置やその装飾、
そして当日の食券整理や客引き、なにより屋台に座ってお客にモノを売る立場などといった、
数限りない役目をひとつも漏らさずにこなす必要がある。
「誰か1人でも非協力的なら、この文化祭は成功しない」
担任が口癖のように準備の時言っていたこの言葉は、その意味で当を得ているかもしれない。

結局、8万円の収入があったが出費も13万まで嵩張った。
追加徴収された1人当たり500円の半分は取り返す事ができた。
この2日目でとにかく売れたのが幸いしたようだ。

準備最終日の夜、屋台が完成した時のあの風景はまだ鮮明に覚えている。
その外観から内部、見えていない場所の細部に渡ってクラスのほとんどの、
いずれかが文化祭のために奉仕した“苦労”が詰まっている。
受賞を逃した。確かに悔しいけれど、ここまで頑張ったらもう受賞してもしなくても成功だと思う。

沢山笑った。そして、沢山のクラスメイトの屈託のない笑顔を見た。

モノより思い出。その言葉が今はよく分かる。
その思い出の為に、この長文を捧げよう。

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