#1038

高校生の思い出 #b


今日の出来事 独り言 自分


卒業式。
連日の砕けた生活リズムで意識が普通ではなかったが、今日はそうも言っていられない。
登校時間は遅くてもよかった為、そのギリギリの時間まで寝ていた。

自分が卒業するという3度目の感覚を味わう事になるこの日。
実感は前2回と比べてとても薄かった気がする。
みんながみんな、開放感に満ちあふれ、名残惜しむ素振りなど一瞬も見せない。
それが高校生なんだな、と思った。

入場後、開式の辞、国歌斉唱、そしてすぐに卒業証書授与になった。
卒業生の人数が多い為、総代以外は呼名を受けたら返事して立つだけだ。
練習要らずな反面、なんだか一人当たりの価値を削いだ感じがした。
その後、各お偉いさん方のダラダラと長い話が連続する。
数人が壇上に立つも、どれも似たような話でつまらない。
その上、結局は学校単位でしてきたことを褒めているだけだった。
校歌斉唱、「仰げば尊し」も歌って式は終わる。
小中学校に比べたら短いものの、とても長く感じた1時間10分だった。

最後のホームルームは保護者も教室に迎え、クラスでそれぞれに卒業証書が渡される。
そして同時に書道をしている担任から、各々に宛てて筆で書いた色紙を渡された。
漢文で、みんなのを見ると誰でも分かるものから誰も読めないものまで色々あり、
ひとつひとつを筆で書いた事を考えると、改めて先生のクラスに対する愛情というか、
思いを感じ取れた気がする。そんな担任の最後の言葉は、
――『若い日に薔薇を摘め』
薔薇を摘むのはトゲがあって苦難を強いられる事だが、若い頃にそれをすることで
将来的には薔薇も得、トゲのキズも若さによって回復するであろう。
つまり若い内の努力が大事だよ、ということか。
中学時の担任の最後の言葉、
『もう二度と帰ってくるな』
に比べたら、いい言葉だ。あれはあれでインパクトがあったから、
今もこうして覚えていられるのだが、僕としては今日のこの方がいい。
ちなみに僕に宛てられた色紙には、“無尽蔵”と書いてあった。
尽きる事のない宝庫、と解説が添えてあった。お世辞とは最初から分かっているものの、
他と比べて比較的知られた言葉だったのが嬉しかった。

同窓会入会式を適当に終え、最後の最後に3学年教員から一言ずつ貰って終わりとなった。
この時に久々に声を聞いた7組担任で生物の教科担任だったA先生も、
僕にとっては高校時代に尊敬する人物として、忘れないだろう。
A先生は最後にこんなことを言った。
「色々な知識を身に付けたら、必ずそれを発揮する場面を見つけて下さい。
 その意味も込めて(学年便りの担任紹介で)漢字一文字に「発」を選びました。
 決して緑色の“發”ではありません(←麻雀のこと?)」
僕は発揮する場所はまだだが、知識を付ける場所は、当たり前だがこの学校だった。
特にこのA先生の授業だった。残念ながら忘れてしまった話もあるが、
色んな方面に色んな楽しい事があることを知ったのは、確かだ。

これから新生活を迎えるに当たって、高校生活の何処が役にたつのかといえば、
そういう生活面の雑学や、家庭内の生活に他ならない。
学問はもう使わないものもあったりして、あからさまに無駄だった時間もあるといえばある。
しかし、それらをひっくるめての今までの生活があらかたリセットされる訳ではない。
決して「いちから」というわけではないということを、不安に抗う支えにしていきたい。

入会式とそのおまけを終えると、本当に高校生としての過程が終わった事になる。
教室で色々談笑したりしていたものの、予想よりも人の残りは少なかった。
帰り道、クラシックギタリストことT君が、
「今ってケータイとかでいつでも連絡できるから、別れっていってもハッキリこないよね」
という風な事を言っていたが、まさにそうだと思う。
なるほど、別れを惜しまないのが現代の卒業式なのか。
惜しむ必要がない、と考えれば、いい時代に生きていると改めて思う。
そして、3年以上つき合う事になるかもしれない人達との出会いを、改めて幸運に思う。

高校生が終わった。
小学時代から考えれば考えられない現実に今直面している。
これを越えた暁には、いつか高校時代よりも、もっと楽しい事が待っていることを信じていたい。

終わったと言って、本当は悔やみたい。
けれどそんなことは思ってもどうしようもない。それが現実だ。

あの楽しかった日々が、いつの間にか思い出になっていた。

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