#1348

19


独り言 自分


今日の夢はハッキリと覚えている。何年か前にも同じような夢を見た気がする。
僕は、何年も前に引っ越して空き家になった、前の実家の家の中にいたらしい。
現実的には、部分部分見たことのある風景もあるが実在はしない。
家はとてつもなく広く、すべての部屋が和式で局地的に破壊されたかのように傷んでいる。
僕は一人だった。それでいて、とうに忘れていたものが並んでいるのを見ると
それらがとても奇妙な風に感じる。
僕は、それを眺めながら、かつてはここで無邪気に遊んでいたんだ、
という風に懐かしみながら部屋中を見て回っていた。という夢を見た。

この夢が象徴するように、僕は4月から、“昨日の夢”を見なくなった。
つまり近い過去をモデルにしたような風景を、夢として描けなくなった。
頭の中は2006年で止まっているらしく、
いまだに夢の中では“まだ話す相手がいた頃の”自分が自分として登場する。
現実では自分から背を向けた旧友も、夢の中ではいい話相手だ。
一時期は本気で現実よりも夢の中の世界が楽しいと思っていたし、
それが最近就寝時間のリミッターがはずれやすい原因かもしれない。

去年はともかく、一昨年はかなり純粋に上とは異なる意の“夢”というものを持ち、
自分が成功した時の妄想にふけるときもあった。
去年もそれなりにあったがそれに向かって具体的な行動をしなかったし、
今年に至ってはその妄想すらなんだか現実味のない(あるいはその真逆の)ものになっている。


19歳になった。いや、なってしまった。
分相応じゃない。1年前の自分にすら劣っている自信がある。
知識という点では、確かにそれなりにスキルアップしたかもしれないが、
心持というか、精神力の面では中学時代まで逆戻りした気がする。

年を取ったのが何故もてはやされるのかというと、
年齢が繰り上がったのが凄いのではなく、その年齢に相当する経験を得て、
その経験をもとに年齢に相当した価値の人間になったと認められるからで、
仮に1年間の間何もしなかった、
あるいは自分のように去年の自分以下になったとしたら、
これは年をとって喜んでいいのだろうか。むしろ空しくなる。
できることなら今日から18歳をやり直したい、と真剣に思ってしまう。

今までは、バカだった時代の過去を悔むだけでよかった。
過去をバカにできるということは今は過去より成長しているんだ、
とそれなりに前向きな姿勢だった。
しかし、今は過去だけでなく、もはや未来もたかが知れたものになっている。
この大学で何かをつかめる気は到底しないし、
むしろ大学というものの存在がやりたい事を模索する邪魔になっている。
この状況であと3年過ごせというのなら、
少なくとも3年間は夢を見ない毎日であることが必然的に決まってしまう。
そしてその間に、僕は成人してしまう。

もう四の五の言っていられない。
時間だけはあるこの環境下、これからの最終リミット1年間で
僕は何かをしなければならない。
何も持たずに大人になったら、それこそ埋もれた人間になってしまう気がする。


つまり何が言いたいのかというと、物寂しい誕生日の方が似合っているだろう、
これだけ何もなかった誕生日も今までなかったけれど
この1年間を振り返ってみれば、これがある意味当たり前かもしれない。
2週間前には実家で祝ってもらったが、
正直なところ後ろめたさもあった。

しかし、親はそんな心を暗いものとも何とも思っていないみたいだった。
昼食の飲み物を調達しに行った帰り道、
珍しく郵便受けを空けてみたら手紙が入っていた。千円札が2枚同封されていた。
面と向かって敬語で会話したことのない母の、短い書き言葉が添えてあった。
『これでおいしいものでも食べてください。帰ってきたらまたお祝いしよう!』
手紙の裏には家族全員の名前が書いてあった。

どうやったら1人の1回の食事に2000円も使えるのか。
ガンガンと音楽を耳に鳴らしていたのに、心は泣き出しそうになっていた。
やっぱり、年だけ食っていくのも結構価値があるのかもしれない、と思った。

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