#1502

蝉のぬけがら


虚ろなままに終わってしまった去年を背にして、
今年は何度も「変わりたい」と思ったことがある。
実際、普段の心構え――というか、心理状況は変わったつもりだ。
「うじうじしてても仕方がない、現実を見よう」
というような強い気持ちが、少しだけ芽生えた気がしないでもない。

しかし5月7日現在、心の中が如何になろうとも、去年から変わった事は一つとて無い。
“少なくとも、このままでは、”去年と同じになるだろうというのが暫定的結論である。
強気になることに少しだけ疲れつつある。

独り暮らしが始まって、家族と喋る機会が無くなって、
学校へ行っても口を開けなくなってから、よく考え事をするようになった。
将来の事。趣味の事。現在の事。
携帯も手に入れて、日々の計画を事細かに記録し、チェックするようになった。
他人に迷惑がかからないならいっそ自ら死にたいと考えたことも何度かある。
今までは、ただ明日とか明後日とかの将来を楽しくするために、
RPGのパーティのレベル上げをしていればいいような生活だった。
高校生活も、自分が何者かを磨くというよりは、自分の所持品を磨くことに必死だった。
頭をよくするために勉強するんじゃない、高得点のテストの答案が欲しいから頑張るんだ。
・・少し前の自分の構想なんていうのは大体そういうものだった。

大学?行くのが当たり前なんじゃないの?
偏差値?無理して頑張っても入ってから大変なだけじゃないの?
受験勉強?冬から一気にやった方が効率いいんじゃないの?
そして、そういう自分が思ったとおりの大学に入って、このザマだ。

僕は、人の一生というのはなんとなく輝かしいものだと思っていた。
特に自分なんかは。
好きなものを子供のうちに磨いて、これを活かせる職場について、
笑い続ける大人になる・・・そうなるものだろうと虚ろに思っていた。
文学部に来たのも、実はそんな希望的観測があるからこそだった。
文章を書くのが上手いとお世辞を浴びさせられ、
それ以外に得意なものもないしと消去法でこの学部を選んだ。
実際には、文系なのに本を読まない自分には絶望の未来しかない。
それをようやく最近知った。

今までは、人生というのは、各個人がどこかで他人にはできないことをこなすような、
他の人が同じ立場に立つなんていうのは不可能な、
干渉できない世界をそれぞれが歩むものだと思っていた。
しかし実際は、自分の代わりの人間はいくらでもいる。自分のできることは他人にもできる。
いわゆる、凡人というやつだ。

・・何を言いたいのかというと、僕はどうやらこの思考回路というものを
一度リニューアルするか、バージョンアップする必要があるらしいということだ。
他人との接触が少ないから正確には分からないが、
今の自分のものの考え方は、凡人の水準をかなり下回っているように思える。
つまり子供から変わっていない。
ブログで池沼は死んでもいいとか、自分のものをパクる奴ってなんなの?と書くなど、
自分はどうも利己主義的な考え方しかできなくなっているように思える。
2007年はそれが特に顕著で、数少ないが周りの人には迷惑をかけたと思っている。
それで、最近遅ればせながらようやくこの考えに行き着いた。

――人生は、頑張らないとつまらない。

少し飛んだ結論だが、多分これは間違いない。
しかし、明日から頑張ろうと自分に言い聞かせるのも単純でつまらない。
言葉にできない何かを、自分で自分にぶつける必要があるらしい。
ものの考え方なんて、一人で変えるのは相当難しいだろう。
しかし、このままでは終始土の中で人生が終わってしまいそうな気がする。
もう若干手遅れな感があるが・・・。

買いものの帰り道、そんな事を考えていた。
バイトを始めるために必死になっているGW前の自分がいたが、
仮にこの後その壁を乗り越えたとしても、バイトなどというのは
所詮月数万のお小遣い稼ぎに過ぎない。
結局はさらに上の壁を目指さないといけない。
そしてなんとなく、今の自分の考え方で行くと、
間違いなくフリーターで満足してしまう気がする。

実家の事が心配だからバイトはさておきというわけにもいかないのだが、
とりあえずは闇雲でもこのうなだれた大学生活に鞭を打たなければ未来はない気がする。
単位をコンプリートして資格でも取れればこの大学ではベストか?
やっぱり急に立ち上がるには壁がいささか厚いが、
初めての感覚ながら今の自分には自分宛の強いメッセージが心のうちにある。
――“一日一行”
・・少しでもいいから将来のタメになるような事を積み上げるという意味だが、
最近はどうも自分で自分が信用できないのもあるので、
とりあえずはそこら辺から修復する必要がありそうだ。
そして、将来の自分がこの文章を稚拙と思うときが来るとしたら、
それはなんだか楽しみな気がする。