#1600

移転前後の頃


web制作 自分


祖父母家帰省3日目。
といいたいところですが帰省記事連番の間に記事番号1600番が入ってきたので
別の話で。

100の倍数の記事は、一部を除いて必ず今日の出来事以外の記事にしてきました。
まず半分が詩で、あとは700番までのうち百の位が奇数の記事は
「こんなにブログを続けているんだ」という再認識をするような独り言。
1200番から百の位が偶数の記事は、いわゆるネタ切れが顕著になって来たからと
昔を語る独り言(カテゴリはその他)。
例外で200番がゲームのプレイ日記、1000番が未だに執筆開始していない小説のプロローグ。
と、これらの流れを組むとすれば1600番目の今回は昔を語るなんとやらを書けばいいのですが
参考にすべく前の2つの記事を見てみると、
なんていうか一人暮らし開始後の想像力の乏しさが伝わってきてガッカリしました。
もうちょっと面白いこと書けないのかよ自分・・。

でも、ここで流れを切ってもいいアイデアが出るとは思えないので
とりあえず今回は2003年頃の自分を叩きたいと思います。

曖昧な記憶というのはやっぱり曖昧でしかないと感じた今日この頃。
インターネットアーカイブというものをご存知の方もいるかと思いますが、
実は最近、それで移転前とこのブログの昔の状態をサルベージしてみました。
正直、痛すぎる・・。

サルベージできたのは、このブログは2004年12月30日(日記件数121件)当時のもの。
移転前のブログは2004年03月09日のもの。
移転前が痛いブログなのは大いに自覚していたつもりなのですが、
3年以上の月日が経っているから感じるのか、このブログの開設直後も痛すぎる・・。
所々で当時ハマっていたラノベの影響を受けまくっているのがさらに輪をかける状況です。

2004年~2006年頃の自分が羨ましい、あの頃に帰りたいと思う今の自分ですが、
なんだかんだ言って昔の自分も大したことはないんだなと思った次第です。
アクセス数推移やネットを離れた場合の充実度を考えると
遥かに“痛い”頃の方が勝っているんですけどね。
結局どちらが正しいんだろう・・?

弟を見ていると、明らかに若気の至りというか、
それ以上に間違った行動や認識を見てしまうことがよくあります。
でもそれは弟にとっては正義であり、
自分も当時はよく思っていたことであることが多々あります。
そしてそれら間違った認識を、
歳を取ってから気が付いたときに自分で罪悪感等々を感じるという。
僕もここ2年間で随分とそういう思いをしてきました。
これが人が必ず通る道だとしたら、親が子へ、教師が教え子へ伝える事というのは
実は自分が思っていたよりも随分と真剣なものなんじゃないか・・と今更ながら思います。

昔の自分が痛い痛いと思うのは、
そんな思いが間違った当時へ決して伝わらないという悔しさなんでしょうね・・。

きっと2008年現在の自分も2011年の自分にとっては痛い過去なのでしょうが、
今はとりあえず、そういうことは考えたくないな。

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