#1873

二年後の話


独り言 自分


考えれば考えるほど、2009年という年は、本当の意味で自分にとって勝負の年だった。
そんな自覚が全くないまま、
少なくとも瀬戸際にいるということだけは自覚しつつこの年を迎えた。
2008年の経験を生かしてさらに昇進しよう、という気持ちがなくもない、
しかし自分に立ちはだかる壁は、透明で巨大だった。

思えば――必修科目を落として進級が危うい、
それを乗り越えても卒論を書かなければならない、という危機がありながら、
その一方で就職活動という人生の分岐点にも立ち向かわなければならないのだから、
そんな中で、今年は趣味関係のスキルを一桁繰り上げるべく努力しようと決心したのは
時間的に少し無理な話だったのかもしれない。
ただ、その決心の裏には“社会人になったら趣味に全力になれないかもしれない”
という危機感があってのことで、そう考えるともう自分に与えられた時間は
既に無いと言ってもいいのかもしれない。
こんな年になって今更、子供の時の内にもっと努力しておけばよかった、
などと考えるのは、ある意味凡人が皆経験することなんじゃないかと思う。

今回の唐突帰省は、従弟が日帰りともあってとても充実していたとはいえなかったが、
ある意味ではかなり大きな収穫のあった3日間だった。
年上の自分よりも先に今年就職活動をする予定の従弟や、公務員の叔父、そして父と
これからのことについて、ほんの少しだけだが色々と話を聞かせてもらい、
今自分が立ち向かおうとしている壁が大分不透明になってきた。
公務員とはどんなものなのか、一般企業との違いは何か…
つい先日、大学の就職ガイダンスで同じテーマを扱っていたが
身近なだけに帰省の方が遥かに勉強になった。

ただ、色々な情報を得たとはいうものの、それで綺麗に結論が出たわけではなかった。
公務員を目指すのか、あるいは一般企業を目指すのか、という、
たった二択の段階で未だに迷っている。
本来就職活動をする時間に勉強をして採用倍率20倍以上という公務員試験に立ち向かい、
自分がはっきりやりたいと思うわけではないが
昨今の経済状況を鑑みると就職後は一般企業よりは安定性のありそうな公務員。
対して、安定性はなく幾多の面接などをくぐり抜けなければならないが
来年内定がもらえる可能性は公務員よりもかなり高いと思われる一般企業。
どちらがいいかという問題以前に、果たして自分はこの選択肢に対して
答えを出すに足る知識を持っているかどうかというところで、まずは躓いている。

公務員試験に落ちたら最低1年はフリーターもしくはニートが確定する。
そんなリスクがある中、倍率20倍はあまりにも厳しい。
ただ、一般企業に入ったところで、自分がやっていけるかという心配も非常に大きい。
要するに自分の人間性に自信がない。
大人になりきれてないと今までずっと思ってきていたのに、
それをいきなり変えろと言われて困惑している。

従弟とは、趣味の話も出た。やりたい仕事に就くとはどういう事だろう、という観点だ。
僕は最近、この足らない頭で自分なりに、
自分の人生にある意味というものを模索するようになっている。
もちろん、就職活動が迫っているという現実に影響されてのことだと思う。
現時点での答えは、“自己表現”だ。

人は生まれた時点で誰にも真似できない歴史を刻み始める。
周囲にもまれて性格を形成して、自分にとって好きな事、嫌いな事が現れる。
そして、思春期を迎える前後で物事を考えるようになってくる。
考えた物事を処理したり、内側で表現世界を再現する場所、つまり頭の中は、
誰にも侵入できない自己世界だ。そこには自分にとっての理想というものが詰まっている。
僕は、この自己世界を何らかの方法によって外側へ発信することこそが、
生きていく事に意味を与えるものだと思っている。
考えてみれば当たり前のことだが、
しかし実際、他者へ自己世界の一端を伝えるという事はなかなか難しい。
ただ、人々は何らかの方法で必ず、この自己世界を他者に発信しようとするべく努力し、
それが人間社会の発展へと繋がっていっているのだと思う。
ある人は自分の外見や他者とのコミュニケーション能力を磨く事で自分の存在を主張し、
ある人は自分が得意とする芸術を発現することで自分の存在を主張し、
ある人は自分の知識や考え方を何らかの方法で直接他者に教えてそれを主張とする。

ひとつ話を戻して、それではそれを踏まえてやりたい仕事に就くとはどういう事なのだろう。
これは、昨今の就職状況や自分の積極的スキルを考えると
むしろ考えるべきではないのかもしれないが、
それでは自分はいつ、自分が生きる意味を体感することができるのか、となってしまう。
就職活動で流れ着いた職場で全力で頑張れば、
それを自己表現とする考えもあるかもしれないが、僕はそうは思っていない。
それでは自己世界から出力するものの種類がひどく限定的になってしまうからだ。
そうではなく、何かもっと頭の中全てを出せるような表現の方法というものがあるはずだ。
それを一生のうちに見つけたい、
そしてできれば表現したそれを世間に見てもらいたい、という気持ちが常にある。
そういう意味では、自分は芸術分野で頑張るべきタイプの人間なのかもしれない。
そうなると、ますます就職活動というものの意味を考えてしまう。
そもそも自己表現とは本能的欲望であるだけで就職とは関係ないのか?

消去法という考え方もある。最も好きな仕事に就くことができなくても、
最低でも自分が嫌いな事を仕事にしたくない、でも何らかの仕事には就きたい、
というとても現実的な考え方だ。

仕事が人生のすべてではない、むしろ仕事は多くの人が金の為にこなすのであって、
それを自己表現の場として生き甲斐にしている人は少数派なのだろう。
仕事で得た金を自己表現の礎とする、というのもありなのかもしれない。
しかし、そういう考え方では、結局最初の二択を決めるに足る結論を得ない。
迷いに迷って選んだ道が正解であるという自信もない。
今の自分には、歩を進めるのに必要な何かが大きく欠けている。
それは単純に言えば決断力なのか、表現力なのか、行動力なのか、知識なのか、
それすら今の自分には分からない。ひとつ言えるのは、残り時間が少ないというだけだ。

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