「まったく、最近のゲームは……」
とつぶやく事がたまにある。
2005年秋、ゲームの年齢層という堤防が壊れる事件があって以来、
専ら任天堂ゲーマーだった僕のゲームに対する目線が少し変わった。
どう考えても『脳トレ』はスコアアタックやタイムアタックに燃える為のゲームではなく、
そういうものが台頭してから、従来のゲームらしいゲームの数が一気に少なくなり、
またゲーム自体の難易度も下がってしまった、
自称ゲーマーにとっては面白くない市場になってしまったものだ、
などと子供心ながらに当時はよく考えていた。
対戦型ゲームでいつも大盛り上がりする祖父母家帰省でのゲームの立ち位置は
2008年にはメインの座を麻雀に奪われ、
2009年には遊戯王カードブームによって一時は完全に消滅した。
ここ数年は8人対戦ができるようなゲームが全くと言っていいほど出ておらず、
僕はしばしばそれを取り上げて、最近のゲームの衰退っぷりを嘆いていたものだ。
しかしまるで絶望とも言えないんじゃないか、と気がついたのも2009年だった。
モンスターハンターをはじめとする協力型マルチプレイゲームの台頭を少し味わって、
これからは対戦じゃなく協力して遊ぶ時代がくるのかな、と思った。
実際に2009年以来現在までに、対戦型ゲームをする機会はとてつもなく減った。
多分、景気の悪化の影響こそあれ、今のゲームが本当に衰退している事はないと思う。
「最近のゲームはつまらない」とつぶやく人は、自分も含めて、
最近のゲームはどうあれ、ゲームそのものに触れすぎて飽きてしまったからだと思う。
三作目が二作目より劣るシリーズは多いという話をよく聞くが、
それは三作目が本当に劣っているのではなくて、
二作目までを遊びつくしたユーザーが「飽きた」と
声高にボヤいているに過ぎないパターンも結構ある。
飽きというものは恐ろしい。
自分が自分に、昔のようにゲームに熱中できない理由を尋ねてみると、
それはネットで繋がっている他の趣味と違って自己顕示欲を満たせないし、
あるいは(やったことはないが)仕事や、(まともにしたことはない)勉強と違って
時間をかけても他人に自慢できない、利益を得られないからだという答えがでてくる。
いつの間にか自分は幻想の最強では満足できないほどに傲慢になっていたらしい……が、
2007年以降、ゲームをする時間を潰してやってきたこと――
例えば2007年~2009年の動画制作や、今も続けているこのブログ――も、
長いスパンで考えればそれは満足するほどの利益を大きく生み出すわけでもないし、
10年続いた趣味を捨てるほど自己顕示欲を満たせているわけでもない。
これらをやっていると「これならゲームと比べて時間を無駄に使わない」
という暗示のようなものが何故か自分の中にはあるらしい。
実際、そういう自覚を持って一人暮らし中の時間を過ごしてきたのだが、
それは果たして本当に正しい事だったのだろうか。
結局は、通信対戦相手がいない環境に自分が負けたという事だけなのかもしれない。
いままで積み上げてきた“質”がどうあれ、
このブログの維持にはとてつもない時間を払ってきた。
原稿用紙約6,600枚分のタイピングがまるで無駄だったとは言わない。
が、1,000エントリーを越えたあたりからもはや記録維持の為だけにやってきた感は否めない。
「飽きる」を通り越してできた習慣によってこのブログは支えられてきた。
人の成長には常にこの“飽き”が関わっていると思う時がある。
これを乗り越える理由を持っている人が、その分野での“最強”になるのだと。
ひとつの事に対して深みにハマっていこうと思ったときに、
最大の敵になるのがこの“飽き”だと思う。
この3年間でゲームに関して、自分の中ではそれが見え隠れするようになった。
飽きるということは次のステップへの推進力になる可能性がある一方で、
そこで途切れてしまう可能性もある、一種の分かれ道だ。
ゲームをする時間に価値を見いだせなくなりつつある今は
まさにその分かれ道にいるという事のように思う。
ブログはこの分かれ道に出会う事がないからこそ、良くも悪くも常に平行線なのだと思う。
2009年の一年間で、この分かれ道を無理矢理選択しようとして
悪い方向に進んでしまったことは何度もあった。
何かを選択すれば成長できると勘違いしていたらしい。
5年前の自分と現在の自分の大きな違いは、
興味のある事に対する目が顕微鏡から双眼鏡に変化した事だと思う。
かつては、興味がある事に対して、
その結果や理想よりも目の前のものをがむしゃらに楽しんでいた気がする。
最近は、とにかく過程がぼやけて理想や結果だけがよく見える。
過程が無ければ結果がないとも知りながら手を出して、
その過程の面倒くささに気が付いてスタートラインで足を止めている。
過程を楽しもうとする自分の心が取ってつけたもののような感覚に陥ることが多々ある。
「新しい趣味を見つける」ということに対して飽きて、
悪い方向に進んでしまったのが現在の自分のように思う。
2,000日を超えたブログに“分かれ道”が訪れるのが少し怖い。
200エントリーを超えて「いつの間にかここまで来たんだ、これからも頑張ろう」
とわざわざブログに書いていた頃が懐かしい。
その11倍に達した今日、久々にブログのエントリー数について書こうと思ったら、
結局こんな風にネガティブ色のある文章になってしまった。
どうも自分は過去五年間という時間の長さにとらわれすぎて
やってきたことそのものを見ていない節があるようだ。
その一方で、今までやってきた事を間違いと認めずに頑なに守っていこうとする節もある。
頭の中の保守派が過半数の人間は実に面倒くさい。
前向きになれば分かれ道の選択に挑戦してみたいと思う事もある。
ゲームレビューブログがただの日記になって久しい今、
改めて飽きを踏み台にいい方向に向かうきっかけは果たしてあるのか。