#2800

夢を聴くという事


独り言 音楽


始めてイヤホンで音楽を聴いた時の、あの感動は忘れられない。

2002年秋頃だったと思う。
ある夜の日、眠れずに暇を持て余していた僕は、
ふと親から譲り受けたきり一度もいじらずに埃を被ってしまっていた
ケンウッド製の古いポータブルCDプレイヤーの事を思い出した。
一緒に邦楽のCDアルバムを何枚か貰って、
親が好きなアーティストについて熱弁をふるわれた記憶があるが、
当時の僕もやはり、邦楽などには興味はなかったらしい。

ところがある時、購読しているゲーム雑誌に付録として
ゲーム音楽のオーケストラバージョンのサントラが付いてきたことがあった。
音楽そのものには対して興味はない、
けれど、オーディオプレイヤーというものから流れるゲームの世界とは
一体どういうものなのだろう、という程度の興味だったのだと思う。
僕はおもむろにそのプレイヤーを取り出してCDをセットした。
窓から入る光を頼りにイヤホンの左右を見分けて耳に装着して、再生ボタンを押した。
真っ暗闇の退屈な部屋が、一瞬にしてオーケストラコンサートの会場になった。
あの時の感動は忘れられない。

それからしばらくは、そのCDを繰り返し聴く事が夜の楽しみになった。
何トラック目のどの部分がお気に入りだ、という事を考え始めると、
その部分を聴く時に神経を集中させるような事もするようになった。
2003年になると、任天堂がクラブ・ニンテンドーを発足させた。
その特典としてサントラを会員にポイント交換で贈るといったような事をしていた。
CDの借り方はもちろん、買い方も、
そもそもゲーム音楽がどこに置いてあるかすら知らない自分にとって、
あのタイミングで現れたクラブ・ニンテンドーの存在は運命的なものだった。
手元のアルバムは二枚になり、それを繰り返し聴く日々が続いた。

2004年、今度はゲームの購入特典としてもサントラが入手できる機会があった。
そしてそれを追うように翌2005年には『プレイやん』という
ゲームボーイアドバンスシリーズを音楽プレイヤーにする周辺機器が現れ、
いつの間にかアルバム単位で聴くというスタイルから、
曲単位で聴くというスタイルに転向していった。

邦楽をちょっと聴く機会があったのも同じ2005年だった。
冬休みが終わったばかりのある豪雪の日、近所に済む友人と一緒に
その友人の親の車で学校まで送ってもらうという事があった。
その時にラジオから流れてきたのがYUKIの『joy』という曲で、
ボーカルはともかく(と言ってしまうとYUKIに失礼だが)、
バックグラウンドで流れている楽器の壮大さに引き込まれて、
「邦楽にもこういう音楽があるんだ」
と思い突然ラジオを買ったのは2005年02月の事だ。
春休みが明けると登下校中のBGMとしてラジオを聴くのが当たり前になった。
気に入った音楽のシングルもいくつかレンタルするようになった。
ある意味では、この頃の邦楽趣味がブログの歴史に荷担した面も否めない。
当時、ラジオに投稿して賞をもらったりと厨二病全盛期を極めた詩作は、
実はいくつかの作品は邦楽の歌詞の影響を受けたものもある。

2006年秋の受験シーズン頃からは突然ラジオを聴かなくなった。
邦楽のマンネリを察したのかどうか、当時の思惑は思い出せない。
一人暮らしが決まり、実家の自分の持ち物をまとめているとき、
随分久々にラジオを聴いた事はわずかに覚えている。

2007年、大学時代に突入すると動画サイトの影響からアニソンにハマるようになる。
音楽趣味の黒歴史と言ってしまってもいいのだが、
それが実は現在の音楽趣味にかなり直接的に繋がっているという事実は否定できない。
音楽プレイヤー兼携帯が再生カウントとプレイリスト作成機能が付いていた事で
「音楽を選りすぐる」という事を初めてするようになり、
自分のライブラリの中で音楽を格付けするようになり、
それが次々に音楽を聴きたい原動力になっていたように思う。

2008年12月、モーショングラフィックスを探していたら偶然見つかった
A-beeの『TO THE UNIVERSE』のPV、次いで2009年03月の実家帰省中に
家族がたまたま見ていたどうぶつ奇想天外という番組の
最終回ひとつ前のエンディングテーマだったcapsuleの『Pleasure ground』。
偶然の出会いによって引き合わされたこの二曲のテクノポップをきっかけに、
それからの自分は一旦ゲーム音楽を脱して
テクノポップというジャンルに傾倒するようになる。
「あのゲームのBGMだから」「あのアニメの主題歌だから」
というような付加価値が全く付いてこない音楽に魅了されたのはこれが初めてだった。
当時の自分が“新生音楽趣味元年”と言っていた理由は多分そこにある。

capsuleの音楽と出会うのとほぼ同時期にエレクトロニカという言葉を知った。
その言葉が意味する定義は付き合って三年になる今も説明できないが、
先述の二曲や、それ以前に好きになった曲たちとの共通点から
自分は電子音楽的な何かが好きなんだ、という確信は持っていたので、
エレクトロニカというジャンルが
自分の探求するものの答えを持っているような気がした。
当時、偶然動画サイトで検索したら一番上に出てきた
あるエレクトロニカ紹介動画の一曲目の、Aphex Twinの『4』という曲を聴いて、
なんとなくエレクトロニカというジャンルの扉を開いた気がした。

それから三年、今の僕はゲーム音楽と、テクノポップと、エレクトロニカという
三つの塔を積み上げ、それぞれ趣味として一定の勢力は保ってきたと思っている。
2010年、iTunes Storeと出会ってからは加速度的に興味の幅が広がった。
が、テクノポップにしろ、エレクトロニカにしろ、
聴けば聴くほどこのジャンルに自分が求める「何か」が分からなくなってきている。
そもそも自分は音楽に何を求めているのだろう。

ラジオを聴き、邦楽のヒットチャートを聴いて満足していた時代、
その頃の自分が芸術に求めるものは「より多くの人が理解でき、かつ奥深い」
というものだった。
ゲーム畑から趣味を広げていった自分らしいといえば自分らしい。
ゲームで例えれば『テトリス』が最も妥当だろうか。
要するに、音楽ランキングに上がってくる音楽、
紅白歌合戦に出場するアーティストの音楽が良いであろうことを信じて疑わなかった。
今の自分は、そういう考え方が愚かとさえ思っている。
もちろんポピュラーミュージックはすばらしいものではあるが、
一度そこから離れてみると、人によってはどうやらそうではないらしい事に気付く。
J-POPの多くは恋愛ソングに溢れている。他国のポップスも似たようなものだろう。
愛は一見誰にでも理解できる。共感できるからより多くの人に売れる。
そういうものを商用音楽と言うらしいが、
しかし誰もが恋愛ソングを聴けば感情移入できるわけではないだろうし、
価値観の多様化が進んでいると言われている今は尚更の事だろうと思う。
音楽は目の前に広がる景色を五円玉の穴から覗いたようなもので、
たった一曲で世界観をすべて表現するのはとても難しい。
そういう意味で、最高の音楽、俗っぽくいえば、いわゆる“神曲”などというものは
実は存在しないという事は明らかだ。
セーフカラー256色の中で「どれが一番いいか?」と言われたら、
個人では答えが出るかもしれないが、256人集まってひとつの結論に達するはずがない。
そういう意味では、音楽のシングル/アルバム売り上げランキングなどというものは
音楽の質そのものとは何ら関係がないのだと思う。
ランキング上位の音楽を“より多くの人が理解できるもの”と勘違いして
そればかり聴いていた自分を愚かだったと振り返っているのは、
そういう理由に依るものだ。
もちろんそれだけの理由でランキングを全否定できるはずもなく、
ジャンルのとっかかりとしてはとても良いものだとは思っている。
しかし、流行歌を聴いていないと馬鹿にされるような風潮はつくづくどうかと思う。

さまざまな人の総意としての“一番いい音楽”は存在しないだろうというのは分かった。
しかし、先ほどの色の例えだと「自分はこれが一番好き」という、
個人が思う“一番いい音楽”というものは存在するかもしれない。
僕がここ四年ほどやっている音楽再生数統計にも記録しているような
“再生回数一位”というのは、その答えのひとつの指標になるかもしれない。
が、アンビエント音楽によくあるように、
再生回数が少なくてもお気に入りの曲は数多くあり、
どうやらこの数値だけで決めるのは早計と言えそうだ。
“電子音楽”というひとつのくくりが好きなのは確かだと思う。
しかし、その中のどれかと言われると、あれも好きだしこれも好きだし、
という風にそのどれかを捨てることが、自分にはできそうにない。
“一番好きな音楽”という定義には、同着一位が許されるという事なのかもしれない。

人々が何かを好きになるという現象には、
その人それぞれの広さや深さがあるらしい。1曲を延々リピートする人もいれば、
アルバム単位で聴き続ける人もいる。自分で創ろうと腕をまくる人もいる。
自分の場合、“電子音楽”という広さの中で、
およそ平均17回ずつ聴く程度の深さを持っているらしい。
2009年、突如このジャンルを知り一気に音楽趣味が広がったように、
音楽を好きになるという事は素質がある限りいくらでも膨らんでいく余地があると思う。
僕が音楽趣味に対して究極の答えを求めるとしたら、
自分が好きになれるすべての音楽を聴くこと、という事になるのかもしれない。

音楽を聴くということは夢を見ることだと思う。
夢を見るという言葉には二つの定義があるが、音楽はそのどちらも垣間見せてくれる。
夢は諦めない限り、他人に邪魔されない限り、終わることはない。
もしかすると音楽もそれと似たようなものなのかもしれない。
終わりのない趣味にはロマンがある、そんな気がする。

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