#2844

奥行きのない意欲


今日の出来事


修論構想発表会が迫っている今、それに対する危機感はもちろんあると思います。
ただ、危機感というものを有効活用できるかどうかというのは
きっとその人のいろんな積み重ねによって左右されるものであって、
自分の場合は「このままじゃヤバいからやらざるを得ない」
という思考に至るのは本当にギリギリ寸前の段階で、
その前に必ず「この状況だと好きな事をやる時後ろめたいなぁ……」
という段階が挟まってしまうみたいです。

この悪癖の質の悪いところは、後ろめたいといういつもと違う感覚が
妙に(課題以外の)物事に対して積極的になれる、という効果がある点にあります。
多分、この方が上手くいくといったような合理性があるからではなくて、
もっと本能的な部分、例えば罪悪感だとか反抗心だとか、
そういう子供心が自分を課題に向かわせないのかなと、
大学院で何度も課題に追い詰められる度に考えています。
あるいは、大学の演習やレポートなどで
寸前の寸前まで行ってもなお何とかなってしまった過去が
今の自分をこうさせているのか……。

実際には「なんとかなった」というのはハードルを極限まで下げた結果であって、
必ずしも傍目から見て優秀というわけではないのが困ったところ。
それでも、レポートやら課題やらは結局、形式としては目の前のみの課題なので
それだけを乗り切ろうとする意識がどうしても前面に来てしまうんですよね。
これを自制して、「ここで適当にやってしまったら将来あんな悪いことがあるだろう」
というところまで考えを巡らせる事ができるかどうか、
というのは、単純に意識してやろうと思ってもできない事ではないかと思います。
これが器量のある人とない人の違いなのかなぁ、
と根拠もなく思ってしまったりもするのですが……。
そういう思考自体が、もうかなりネガティブなんでしょうね。

これも今までに何度か書いている事ではありますが、
要するに、今まではハリボテを作るかのような意識で課題を取り組んでも
その科目の評価が残る以外は特に影響の無かった課題だったのに対して、
修論は二年単位で積み上げていく課題であるためにその方法が通用せず、
その辺の差異から戸惑っているのが今の自分ではないのかなと。
ただ、自分は迷走しているんだという事を仮に結論として出したとしても、
それは「迷走していない状態」を知らない自分だけで解決する問題ではないだろうし、
かといって答えを知っていそうな他人の協力を仰いだところで、
自分の周りは自分より優秀な修論執筆者なので、
ただ頑張れと言われる以外にないだろうし、
きっと自分もそういう同じ課題を抱える人に何か言われても
見下されているとしか解釈できないんだろうなと考えてしまいます。

何が言いたいのかというと、
これをブログで書くのはちょっと気恥ずかしい気もしますが、
早い話が信頼できる相手という存在があれば
自分の価値観だとか、こうやって迷走している現状だとかも
いろいろと変わってくるのかなと、ここ数ヶ月で何度か考えています。
今の自分が持っているものでは、今の自分の前にある壁は解決できそうにないな、
というのが暫定的な結論。
今の自分が持ってなくて、いわゆる同世代の一般人が持っている最も大きなものが、
“他人への信頼”だと思うんですよね。

……話題もない後日投稿分エントリーだったので
頭の中で浮かんでくる事を一気に文字にしてみましたが、
要するに何があった日だったのかというと、修論に追い込まれている事を自覚しつつも
それに手を付けられなかった一日だったという話です。
こうしてみてみると、ネガティブな話題なら意外と難なく長文書けるようです。
普段何気なく妄想している事を割と自然に形にできたような手応えがありました。
ただ、これを書いている今も相当に追い込まれている状態なので
そのせいもあるんでしょうけどね……。

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