#2926

箱入り趣味


今日の出来事 自分


春休み10日目。

春休みなのにゼミがありました。
とはいっても、自分の発表番ではなく他人の発表を聞くだけなので
特に精神的負荷はなく、強いて言えば退屈でした。
なんというか、研究分野の特性上、他人の研究に口出しするために必要な
基本知識というものが、自分のにわか修論との共通点があまりにも少ないため、
「何か質問ある?」と聞かれても、レジュメに書いてあることだけで質問できそうな
どうでもいいようなその場逃れしかできないのが現状です。
……というのは言い訳で、実際にはちゃんと勉強していたら
他人の研究との共通点も出てくるのかも知れませんけどね。

ゼミが終わった後は、大学院の同期の二人と数ヶ月ぶりに
外で食事を共にすることになりました。記憶が正しければ、この11ヶ月で3回目。
こないだの鍋パーティを含めれば4回目でしょうか。
いろんな雑談に花が咲いたのですが、自分がついて行ける内容は5~7割くらいで、
蚊帳の外から話しかけていた感は否めず。
かといって、強い疎外感を感じていたわけでもないのですが……。
この、中途半端な感じはどこから来ているんだろうなぁと思いながら話していました。

途中、同期の一人に「趣味のことあまり話さない性格だよね」
と自分の内側を見抜かれるという事があって、その時はとぼけた振りをして
なあなあに流していましたが、内心では見抜かれた自分の性格を
どういう風に正当化していけばいいのか、あれこれと考えたりしていました。
このことは、常日頃から考えている事で、なおかつまだ自分の中で結論が出ていないので
いつか“独り言”にまとめる機会があるのかもしれませんが、
今の自分が対人関係でやたら希薄になってしまうのは
大学時代の古傷にさわるとか、そういうものとは別に
自分が他人を信用できるかどうか、というところに深く関わっていると思うんです。

メールが来たら返すし、遊びに誘われたらなるべく行くし、
できるだけ人の話は聞こうと努力するし、頼られたら全力になりたいと考えている。
でも、自分から相手に働きかける事は滅多にない、というのが今の自分の性格。
なので、自分発の会話の糸口というものがほとんどなく、
故に自分の趣味関連の話はまずでないし、
自分も自然と否定されるのが怖いからという理由でそれを正当化している、
そんな節が今の自分にはあると思っています。
じゃあなぜ否定されるのが怖いと思っているのかと考えると、
まず直感的に会話相手がその趣味に食いついてくれるという確信がなく、
平たく言ってしまえば信用できないから、というところに行き着きます。
まぁ、相手も聖人ではないので、
本当に趣味の事を話しても否定されてしまう可能性はあるのでしょうが、
あまりにもそういうマイナス方面に考えすぎている事は否めません。

あとは、自分が趣味に対する知識や意欲などの理想像があるとしたら、
それと比べて現実があまりにも不甲斐ないため、
自慢したりひけらかすほどではないかなと思っている故に話せないという可能性。
無論、同期との雑談で完結した趣味の事を話さないといけない必要はないのでしょうが、
でも今の自分の趣味は、ゲームは下火気味だし、音楽はにわかから抜け出していないし
webサイト運営はある意味ゲーム以上に下火で音楽以上ににわかなままだし、
その他諸々の趣味も、結局のところ中途半端過ぎるんですよね。
まぁ、音楽やゲームで言えば「完結した」と思った時が飽きた時だと思っているので
途中経過である事にネガティブな感情を抱く事自体間違っているのかも知れませんが、
その途中経過を満喫している感じを、どうしても自覚できないという悩みは払拭できず、
結局そのもやもやを突破しない限りは、
自分の趣味を趣味として他人にひけらかすことを、自分自身が許せないんですよね。
自分の理想像との付き合い方は、
ここ数年、誕生日を迎える度に考えてきたつもりではあるのですが、
どうもまだまだ考える必要がありそうです。
その上で、他人との付き合い方というのも自分なりに考えていく必要があるのかも。
……人間関係を作るって、物凄く面倒くさいんだなと思った今日この頃です。
これも一種の杞憂なのか、あるいはそういうコミュ力不足は克服して然るべきなのかすら
今の自分には分かりません。果たしてあと一年で結論は出るのやら。

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