#2946

同情もしくは便乗の沈黙


今日の出来事 文化


春休み30日目。

こういう物事の一周年は、果たしてどれほどの意味があるのかと考えてしまいますが、
ともあれこの日は東日本大震災の発生から一年という事で、
それなりに、あれから一年という実感を持って過ごした一日でした。
“忘れないため”という目的はあるのでしょうが、
不特定多数で盛り上がる意味はないんじゃないかなぁというのが正直な思いです。
今の自分はTwitterをはじめネットに触れる事が習慣化しているため、
例えば中越地震発生から一年の時のようにニュースを見なくても
ネットの中で、さまざまな“発生から一年”を見聞きするという事もあって
2005年10月23日の中越地震発生一年と比べると
かなり強い実感の中で過ごしたような気がしています。

Twitterでは、東北地方太平洋沖地震の本震発生時から一分間、
黙祷(=この場合は何も呟かない事)しようという呼びかけがあり、
それに賛同して拡散する人がおり、
それに対して「ネットでそんな事をして意味あるの?」
「そんな事して被災者のためになるの?」と懐疑的に思う人達が
それに対するネガティブキャンペーンを展開したりと
なかなかスッキリしない一日でした。
タイムラインがこうもドロドロしてしまう経験は初めてだったので、
これも震災から時間が経っていない証拠なんだろうなぁと傍観していました。

自分としては、どちらかというと
ネットでそんな事をしてもしょうがないという意見寄りのつもりなのですが、
別にネガティブキャンペーンをしようと考えるまでもなく。
ただ、そういう風に呟かないようにしようというリツイートが回ってしまうと、
あたかも通常通りに呟いたら空気読めない奴と扱うような風潮が
同時に形成されている気がして、なんだか束縛されたような嫌な感じはしました。
実際に黙祷の時間を迎えてみると、予想よりも遙かにタイムラインは減速し、
ちらほらと「黙祷なう」とツイートしている人がいました。
見た感じでは、そういうツイートをする人は二種類いて、
黙祷運動拡散の反対派が荒らしのつもりで呟いている人と、
あとは素で呟いてしまっている人がいたかな、という印象。
前者は黙祷前後でタイムラインを埋め尽くすばかりの発狂具合だったので
仕方なくリムーブさせてもらいました。
後者の人も、これ結局黙祷してないですよね。他人のことは言えませんが。
そんなことが取り沙汰され、なんだか震災の傷もまだまだ癒えていないんだなと
改めて思う震災一周年でした。

自分は特に何もやっていませんが、
先日のゼミ旅行中にも震災の話が挙がったりすると
全然話についていけていないのが妙にもどかしかったので、
それだけの理由で実は今日、震災関連の事を書いた本を買ってきてしまいました。
決して世間の話題に付いていこうという卑しい気持ちで買ったつもりはないのですが、
それを全否定できるほど気持ちがしっかりしているわけでもないです。
ただ、震災を知る事は激動の2011年に非充実の日を生み出しまくった自分が、
2011年を過ごしたという自覚を得るための必修科目なのかなぁとも思うわけです。

それにしてもゼミ旅行以来、今度は書籍に使う時の財布の口が緩みつつあって、
今月はなんだかもう散財しまくってしまって
後はどうにでもなれという状況になりつつあります。
これで、無事に読破できればせめて金額相応の知識を得た事になるのでしょうが、
大学生活、「本は買うまでが一番楽しい」とか真顔で思っていたほど、
選んで買ってどこか満足してしまうというようなところがあったので
それだけは避けたいところです。
先月始めた図書館通いがある程度定着すればなぁとは思うものの、
やっぱり春休みだとなかなか用事もなく大学へは行きにくいんですよね。

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