#3004

続・何かを失った話


独り言 自分


締め切り前まで動けないのは、今に始まった事ではない。

小学校時代の夏休みの宿題と言えば、最初に一週間程度で片付ける計画を立てて、
途中で頓挫して結果的に最後の一週間で片付けるのが恒例だったし、
高校一年の頃は、計画倒れになる事を見越して
初めから最後の一週間に取りかかるようになった。
大学時代のレポートは、四年間のうち最初の方は“締め切り前日”が最終締め切りで、
最後の方には“締め切り当日”も課題を処理する為の時間に割り当てられるようになり、
ついには発表寸前にレジュメを印刷するようになったのが、大学三年後期の頃だった。

「課題をやってくるのが当たり前」という暗黙の了解には、どの先生も口を出さない。
ただ、やってこなかった学生にペナルティを課すだけで、
こちらとしては「どうせ、損をするのは自分だけだから」と
ペナルティがどういう損になるのかを見極める方に力を入れるようになり、
課題の内容そのものは二の次になる。
課題を出して「よくできました」とハンコをくれたのは小学校の先生だけで、
それ以来、課題を出して褒められる事はなくなった。
子供じゃないんだから当たり前だと言われてしまえばそれまでだが、
何の得もなく、損を避け続けるためだけに課題をやってきたという自覚こそが、
今の自分を作ってきたのではないかとも思ってしまう。

漢字練習、計算ドリル、英文和訳、憲法の書き写し、専攻科目の研究……と、
内容がどんどん高難易度かつ深いものになっていくにつれ、
一体この課題が自分にどういう意味があるのかと考えるようになってくる。
漢字練習をしていた頃は、それが「漢字をひたすら書くだけ」
という単調作業で退屈ではあるものの、同時にこうした方が覚えやすいし、
覚えれば日常生活で役に立つだろうというのが直感的に理解できたからこそ、
かろうじて最後まで投げ出さずにやってこれたのだと思う。
しかし、大学以降の課題は、ただ淡々とレジュメを書き、
「考え方が不足している」「こういう書き方は不味い」
といった事を発表の場で指摘されるだけに終始して、
結局学べるのは、レジュメの書き方や研究分野の端っこと言ったものでしかなく、
これを乗り越える事で、自分の根幹に役に立つという実感が湧きにくいし、
実際にそれは「単位が出る」という形でしか実にならないのではと、今でも思う。
今現在の自分にとって、本当に本意で好きな専攻科目ではないのだから、なおさらだ。
俗に言う高学歴の人達は勉強をする自分なりの理由を持っている人が多いと聞く。
一方僕は、大学院に入ってもなおそれを見いだせていないようで、
それが課題を着手できない理由になっているのだと思う。

今の自分の不幸を取り巻く要因は三つあると考えている。
一つ目は、妥協点を置いて作業に取り組む事ができないという、行動力の欠如。
二つ目は、五年間バイトをして来ずに
奨学金のみの生活に依存しきっているが故の、金銭面の不安。
三つ目は、好きなものはとことん、その他はゼロという性格を貫いてきたことで
今までの自分が生み出してきた、興味関心の狭さ。
これらすべての大本には自信のなさがあって、
それが今の自分が持つ「残り時間」を確実に蝕んでいるのだと思う。
自信がないから……締め切り前に動けない、自分の本当に好きなものを言えない、
結果的に自分の本来の力を他人に見せることなく、評価を落とし続ける。
そうして、注意される事が多くなり、そのままじゃダメだと言われ続ける一方で、
褒められる事はほとんどなくなる。
自分の存在そのものが後ろめたくなって、
いつの間にか、他人に見せることがなかった本来の自分がどこかへ消えてしまって、
代わりに十分ではない「この程度の自分」がそれにすり替わる。
今の自分の卑屈で謙虚な姿勢は、これを繰り返して脱皮し続けた結果なのだと思う。
“締め切り前まで課題ができない”のが
すでに本来の自分、100%の自分になってしまっているのだから、
自信のない今の自分が100%を超えることはないし、
課題ができないのが自分らしいとさえ、どこかで思い込んでいるような節がある。

ゴールデンウィーク明け最初の発表であり、
自分にとっては04月06日以来一ヶ月伸ばして貰った課題の締め切り日でもあった今日、
もやもやとした頭で過去の発表資料を見返しても
全く持って今やるべき事が見えてこずに時間が過ぎていき、
危機感が湧いてこないまま、いよいよ眠くなってきた締め切り3時間前の09時過ぎ頃、
早々にギブアップをするために教授の研究室のドアを叩いた。
教授には二つの報告をした。
まずひとつは、一ヶ月の延長期間があったにも関わらず白紙に終わってしまった事。
それから、この大学院に入った理由でもある教職科目を取る事を諦めて、
今からでも就活を始めたい……という名目で、退学を検討中であるという事。
課題ができない事によるいつものネガティブ思考から、
衝動的に教授にそれをぶつけてしまった事は否めない。
もうちょっとでも厳格な風貌の人だったら、
こんなに赤裸々に現状は話さなかったはずだが、これ以外に手はないと思っていた。

言ってしまえば、退学したいということは修論から逃げたいというだけの衝動であって、
こんなことはまだ両親や友人にも言っていない。
しかし一方で、この一年間、ただモラトリアムのために入った大学院での活動が、
これだけ負担になる上に修士号を取る以外のメリットもないとなれば、
今からでも退学してしまった方が賢明ではないかというのも、
今まで何度も何度も考えてきた事だった。

これらの報告が、単なる課題から逃げたいだけの衝動であるということは
教授には見透かされていたようで、退学を含めていろいろ相談には乗ってくれたものの、
結局ゼミでは前々回の資料を配ってゼミ生と再検討という形で発表する事になり、
そこでは同期のゼミ生に「いままで何やってきたの?」と冷酷な声で問われた。
悔しかったし、惨めだった。こんなのが自分なんだと、思いたくないが、
もう認める他にない。
小学校の頃、泳げるクラスメイト達の衆人環視の中
泳げない自分だけ、先生に「君は、顔に水を付けながら歩くだけでいいよ」と言われ、
なんだあれ、泳いでないじゃんと馬鹿にされた事をふと思い出した。
惨めで、悔しくて、他の人のすべてが羨ましいし、だからこそ恨めしい。
でも、それでも、今の自分をなんとか修復しようとする気概が生まれてこない。

惨めさを味わうこと、叱られること。
それらは、今まで教育される側の人間として随分経験してきたことだが、
結局それらが自分にとってプラスになるような事はなかったように思うし、
むしろ、そういう経験が今の自分の負の側面を積み上げてきたようにすら思う。
その上、自分は褒められても、恥ずかしさ故か、
それをまっすぐに受け止められなかった人間だ。
その原因は何なのかというと、やっぱり自信がないからなのだと思う。

人生の中で、苦しさが糧になって後人生の役に立つといったような常套句は、
その苦しいことをする目的がその人にとって有意義である時だけに言える事で、
苦しさの向こうに目的がないような場合は、
結局苦みを味わっただけで終わる事が多いし、苦行自体は何の役にも立たない。
無論、苦しいだけの道のりを進んで選ぶような人はいないが、
逃げて逃げて逃げ続けた末に、その道に迷い込んでしまう事はあると思う。
今の自分は、“自分”が確立して自信を得られない限り、
一生不幸のまま生きていくことになるような道を歩んでいる気がする。
では、そもそも“自信”が何なのかというと、それもまだハッキリしていない。
人は何も考えなくても、結構生きていけるもののようで、
自分は、こういう窮地に立って誰かに相談するたびに、
今までの自分が、何も考えずに生きてきたのだという事を痛感する。
それくらい、他人の単純な質問に答えられない。
もしかすると、自信を得るという事は考える事なのかも知れない。
それは結局、考えるためには勉強が必要で、勉強のためには自信が必要という風に、
今の自分には入り込めないような三すくみの関係にあるような気がする。
少なくとも自信がないから研究をしなくていい、という話ではないからだ。
しかし、ではその三角形のどこから入ればいいのかという問題がある。
高校の時の先生が、「理屈はともかく今はこれを覚えろ」
という風に言って暗記をさせてきた事は、当時は全く理解できなかったし、
勉強はそういうものではなくて、
もっと知識欲に触れるような楽しいものだろうと思ったものだが、
自信との相関で言えば、理屈抜きで物事に取り組む事も、
もしかすると大事な事なのかも知れないと、今更ながら思う。

生きることに意味はない。
そういう面から言えば、今までの自分が失ったと思ってきた子供心や可能性、
行動力や時間といったものは、最初からなかったのだと言う事ができる。
生まれた時が0%だとしたら、100%の自分というのはどこにいるのだろう。
それはもしかしたらこの世に存在しないのかもしれないし、
働き盛りのある時点に今の自分が100%だという強い実感を抱くのかもしれない。
ともあれ、あらゆる事に疑問を抱く事がなかった思春期の自分が100%で、
そこから転落を積み重ねてきたと思ってきたという事は、少々浅はかだったとは思う。
そうやって減点法で自分を見てきたからこそ、今の自分があるのかもしれない。

こうやって自分の殻の中で人生の云々について考えようとしていると、
また外界からトゲが入り込んでくる。
……僕はまだ、しばらく締め切りと仲直りできそうにないみたいだ。

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