#3009

木陰に守られた苗木


今日の出来事 自分


昨今の自分の状況と、昨日の友人の長話を総合して
この日はいろいろと自分の中に溜まっている考えをまとめるつもりだったのですが、
投稿日時を見ても分かるとおり、大分日数が経ったという事もあって、
考えていた事をほとんど忘却してしまいました。
こういう事は、普段ならそれほど簡単には忘れないのですが、
昨夜の時点ですでにかなり忘れていたということもあって、
一応昨夜残しておいたメモ書きを読んでも何が何やら。
もうちょっと暫定結論らしきものをちゃんと残すべきだったか……。

残されたメモと、うろ覚えの記憶の中で覚えている限りを一応書くと、
今、修論に対する興味がなければ退学せざるをえないという危機、
あるいは生活リズム崩壊によって趣味さえも存続が危ぶまれている状況で、
なお自分がその状況から自分で脱出できないのは、
怠惰から脱出した先にある何かに対する恐れというよりは、
現状から変わりたくないというところに尽きるのではないかという事です。
変わったら、今の自分が持っているものを失ってしまうのかもしれない、という感情が、
解決に向かって素直に動けない原因になっているのかなぁと。

こうやって書きだしてみて、
そういえば大学時代前期にバイトができなくて苦しんでいた時にも、
似たような事を考えていたなぁと今思い出しました。
あの時も、バイトの内容はどうあれ、休日ないし平日の大量の時間を奪われたら
少なくともサイト運営趣味の存続は危ういだろうし、
そうやって現実問題が趣味という自分だけの空間を
蝕んでいくことを怖がっていたからこそバイトができなかったんじゃないか、
というような事を当時考えていたりしましたが、
今の問題もそれに似たような状況なのかなと。
ただ、大きく違うのは、修論というのは
大学院入学の道を選んだ自分に課せられた責務のためにやるもので、
建前上は「やりたくないからやりません」では済まされないし、
しかもお金が入ってくるわけでもないという点で
バイトとは正反対かのような存在のように見えます。
バイトをするというのは、巡り巡ってお金のためにやるものだとも言えますが、
こちらは建前上は他人に時間を売っているようなもの。
一方で修論は、あくまでも自分の時間の使い方の問題というだけで、
他人に対して云々というのは、教授に面目ないというくらいの接点しかないんですよね。

夏休みの宿題ができないのが自分らしい、というような思い込みが、
こういった自分史を作り上げてきたとしたら、それは是非変えなければいけない、
その理屈は分かる。でも一方で、そういった思い込みが趣味を通して作り上げてきた
別の面の自分らしさというのが存在するのも確か。
これらが表裏一体であると考えるのは、
趣味以外を優先した生活をしていない自分が言うのは現実的ではないかもしれませんが、
これまで、課題の存在がブログの存続を脅かしてきた事からも
一定の関連性は絶対にあると思うんですよね。
もはや、旧来の自分(趣味)を保ちつつ、修論その他与えられた課題をこなすための
新しい自分を作るには、自分が二人いなきゃ成り立たない、
そんな風にも考えてしまいます。
「仕事を始めたら趣味に費やす時間なんてないよ」
などとよく言われるのは、そういう事なんじゃないかなと……。
そして多分、大学院研究室内といったような小さな社会から、
国内全体といったような大きな社会まで、
みんなが求めているのは新しい自分なんだろうなぁと思うわけです。

だから、自分が「変わりたくない」と思った結果動けないのはある種自然だと思うし、
周りがそれを否定してかかるのも自然だと思うんです。
だからこそ辛いと思うし、そこにさらに時間食い虫である睡眠の問題が絡んでいるので
もはや何が何やらといった状態。
そもそも、大学院の研究って本来楽しいはずなのに、
趣味の一枠として研究を捉えられていない時点で選択ミスだったとも思うわけで。
何にしても、そう簡単には解決できない問題なんだろうなぁと思います。
逆に言えば、これらの問題さえクリアすれば
結構快適に物事を考えられそうな気はします。
コミュ力の問題があるので、これを乗り越えても社会参加できるかどうかは
また別の壁に突き当たりそうな感じはしますけどね……。

と、書き殴るように書いたら案外あっという間に52行費やしてしまいました。
こういう事が普段からできるようになれば思考整理も効率よくなりそうなものですが。

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