#3125

臆病な趣味


文化 自分


夏休み33日目。

夏休みなのにゼミがあったので大学へ行き、夕食を同じゼミの友人と一緒に
大学の近くの中華料理店で食べました。
例の胃炎に差し障りがあってはいけないと油モノを避けて
代わりに野菜炒めのようなものを頼んだのですが、なんだかやたら辛くて
むしろ油モノよりもキツかったような気がします。
先月末のかき揚げといい、最近どうも外食メニューで後悔することが多いような。

友人とはスマホの話がちょっと出たくらいで、
あとはもうほとんど自分の「修論できる気がしない」的なぼやきをなんとかするために
友人が励まそうとするというような感じの会話が延々続きました。

今の自分がどういう状況で、どういう経緯でここまで堕ちたのかというのは
ゼミの教授はもちろん、同じゼミのメンバーにはよく知れ渡っていることで、
そういうのを踏まえた上で励ましてくれたと考えるのなら、
とてもありがたい話ではあるんですが……。
なんというか、一方でどうしても自分自身の
同世代の知り合いと話す時の引き出しの狭さをつまらなく思ってしまっていました。

大学院の同期で修論に関して、最も進んでおらず絶望的なのは紛れもなく自分。
いやでも、もしかするとそうやって音を上げているのが自分だけで
周りも実は大してやってないんじゃないかという可能性もあるわけで、
友人が力説していたのもその辺だったんじゃないかと思いますが、
でも意欲的な面で最底辺をいっているのは間違いなく自分だと、
この辺は悲しいかな自信を持って言えます。

そんな自分が同期メンバーと席を共にすると、
立場上どうしても下に見られているというか、「辛いのは君だけじゃないから」的な
慰めの話になってしまう風潮が、どうもいたたまれないというか、
そこが本意ではないんだけどなぁと、話し終わってから後悔する事が多いです。
そこには自分の人柄、性格、コミュ力等々いろんな問題が混ざり合っていて、
その上他人と共有したいと思う話題というものが皆無であるために、
どうしてもそっちの話に流れがちな空気というのもあるように思います

あとは、今年02月にも同様に外食したときに指摘されていた通り、
自分自身があまりにも趣味について話さないために、
相手から見て自分が、どういう話題なら話が弾むのかというのが未だ不透明なせいで、
こういう最も無難で気分を害さない話に持っていきがちになってしまうという、
お互いの信用の問題なのかなぁと。
だから、正直言って、
最近は同世代の誰かと会話をしても面白くないというのが現状です。
相手につまらない思いをさせてしまったという反省もしかり、
それ以上に自分の中で感じるつまらなさが最近尋常ではありません。

年度明け前後の頃は、いつだったかのエッセイ制作課題辺りをきっかけに
できるだけ周りには趣味をオープンに話すようにしよう、
と考えていた時期もありましたが、新歓で空振って以来、
いつの間にかそういう気持ちも潰えていました。
ゲームや音楽やサイト運営趣味や、あるいは他の興味関心について
他人と話してみたいという気持ちは、多少の浮き沈みはあるものの
自分の中にもあるのは紛れもない事実だし、
こうやってブログを書いていたりTwitterを止めていないことからもそれは明白です。
ただ、「話し言葉」に乗せるということに対する苦手意識と、
マイナー趣味であるゆえに、分かってもらえない可能性を恐れているという自覚、
“こんな年になって”と言われるような低俗な趣味であることの自覚、
そして何よりも、自分自身に対する趣味の姿勢や自尊心が
かならずしも会話の中で伝えられるとは限らず、
饒舌になったところで自分自身の趣味を貶める結果になってしまうんじゃないか、
という卑屈な考え方が、重い足枷となってしまっているように思います。
ネット上でこれだけ情報発信をしているのに、対面すると真逆の状況になるのは
我ながら不思議なんですが、本当に身内だけとなると音楽の話も楽しくできるので、
結局のところ、友人関係に対して一歩身構えてしまう悪癖のせいなのかなぁと。

「自分は知人を信用できていないんだ」などという結論を出してしまうと
今後の対人関係に溝を作ってしまいそうなので、
なるべくそうは思わないようにしていますが、
どうも一歩踏み込んだ事ができないというのは事実のようです。
そんなことを誰かと話すたびに思うのもどうかと思うのですが、
実際のところ大学時代後期はこういう面でも気楽だったんだなと最近思っています。
あのころは、とにかく対人関係を持つ事さえできれば、
などと思うようなこともありましたが、
それが現実になってもコミュ力がなければ所詮はこんなものなのかもなぁ……。

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