#3222

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独り言 自分


創作の万能選手になりたいと思っていた。

文章を書けるようになりたい、絵を描けるようになりたい。
それだけに留まらない。漫画だって、動画だって、音楽だって……
とにかくなんでも創れるようになりたい。その為に、なんでもできるようになりたい。
小学五年生の頃、文集か何かに「ゲームクリエイターになりたい」と書いた事がある。
創作の万能選手になりたいと思ったのは、
ゲームが絵や音楽やシナリオといった芸術の複合体だと思ったからだ。
次第に、実際にはそれをすべて一人でなんとかするというわけでもない事を知るが、
それでも自分一人ですべて作れたらどんなに楽しいだろう、と思い続けていた。

子どもの頃思い描いていた「理想の大人」たる自分は、それができたはずだ。
子どもの頃は、そんな幻影の背中を見ながら育っていった。
そんな風にして、ひとつずつ大人への階段を上っていったはずだった。

24歳になった今、その幻影の背中が自分の中から消えつつある。
いや、もう消えてしまったのかもしれない。
それほどまでに「夢」に対する気持ちがおぼろげになり、
ハッキリと意識できないものになり、それについて感情的になることもなくなった。

その代わり、今までよりも平穏を望むようになっていった。
お金持ちになれなくたっていい。友達が100人できなくたっていい。
ただ、今ある趣味を奪われることだけは勘弁して欲しい、と思うようになった。
夢は、今ないものを欲すから夢になるのであって、
今あるものを手放したくないという気持ちは願望であっても「夢」にはならない。
今の僕は、現状維持に心も体も奪われて夢を見る余裕がまったくなくなっている。
その代わり、昔始めたものをなるべく捨てずに着実に受け継いでいるとは思っている。

かつては、やってみようという気持ちはあっても、
実際にやってみると全然別物になってしまうという事はよくあった。
ところが、ここに来てようやく、そんな事を愚直に続けてきて、
「そういえば、昔はこんな事を目指したんだっけ」
と思うような事を具現化する力を、ほんの少しだけ具体的に手にした気がする。
時間が経ちすぎて、もはや昔の自分ほどの達成感は得られない。
昔できなかったことが今できる代わりに、昔できたことが今できなくなっている。
だからこそ、昔の事を懐かしむのに時間を費やすようになったり、
子ども時代に戻りたいと思うのだろう。
そこには、必ず「今の自分であればあの時できなかった事ができるはずなのに」
という夢が含まれているのだと思う。

20歳になってから四年が経過して、未だに僕は大人になれていないという自覚がある。
「二十歳」という区切り目を過ぎてしまった今、
今後は三十路までに今度こそ大人にならないと、という焦りのようなものを感じている。

同じ事を繰り返していると、経験から紡ぎ出した新しいやり方を思いつくことがある。
そんな風に、物事に対して合理性を追求していくと
なんとなく成長したという実感はあるが、これが「大人になること」なのだろうか。
合理的であるという事は、もちろん都合がいいこともたくさんあるのかもしれない。
しかし、非合理的だった時代のことを夢見ているのも事実で、
そう考えると今の自分は一体どこへ向かっているのか、見当がつかなくなってしまう。

ただひとつ、何かを新しく始める時は、みんな等しく「子ども」なんだということを、
自分に言い聞かせながら何かをやってみようとする気持ちが、
今年一年間を通してほんの少しずつ芽生えてきたような気はしている。

子ども時代に思い描いた「理想の大人」の正体は子どもなのかもしれない。
いつの間にかその幻影を追い越してしまったからこそ、
時々過去を振り返りたくなるのかもしれない。
この歳になった今、もう一度その幻影が自分の前を走ってくれることはあるのだろうか。
難しいかもしれないけれど、ありえない事ではない、と思う。

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