#3245

振り返った思い出 2012


独り言 自分


2012年がもうすぐ終わる。終わるのに実感がない。ここ数年、毎年思ってきたことだ。
一年を積み重ねるたびに、いろいろな事に対する実感がなくなっていく。
これを楽しもう、という気持ちが自分の外に出てしまったような寂しさを感じる。
これから年を経るにつれ、どんどんと寂しくなっていくのだろうか、
心が冷たくなってしまっているのだろうか、などと考える。
今までの自分は、
過去を踏まえることで過去以上の何かを積み上げてきたのではなかったのか。

2012年は、僕にとっては自信損失について考えるばかりに終始した一年だった。
自分を信用することとはどういうことなのか?
今抱えている諸問題のすべての根本的原因は自信がないことなんじゃないだろうか?
そういった問いが浮かんできても、
歩きながら何かを思索するという習慣も廃れた今年は、
少なくとも思考回路についての前進はわずかだったように思う。
自分の考えに対して期待を抱かないようになったという点で言えば、
むしろ退化してしまったと言えるのかもしれない。

年明けから05月までの期間は、今にして思えば順調に過ぎ去っていったと思う。
年明け直後、修論という現実から逃避するためとはいえ
今まで何度も積んでは結局読んでこなかった本を初めて読破したこと。
05月の日記3,000件目という節目をきっかけに生まれた創作への積極姿勢。
インプット活動とアウトプット活動がほとんど同時に進展していた。
この時は、自信について思い悩むことはあまりなかったと思う。
自信が全くなかったら、少なくとも小説を書こうなどという話にはならない。
行動力がなければ新しい事をやろうという気持ちは生まれない。
それには必ず余裕というものが必要だという事に気が付き、
今の自分にはそれが足りないのだということに気が付いた。
それを束縛していたのは、大学院進学を決めた自分自身だった。

05月の修論ゼミ発表先送りの件をきっかけにして、
出足順調に思えた今年の足並みは一気に崩れることになる。
去年の時点で崩れかけていたと思えば必然のことなのかもしれないが、
ストレスを抱え込み続ける生活をしていると、案外簡単に心も身体も壊れる事を知った。
自主退学してこの束縛から逃れる事を夢見つつ通ったカウンセリング室で、
少なくともどん底の状態からは脱出したのかもしれないが、
それで根本的要因がどうにかなるというわけでもなく、
今に至ってこの問題は完全に解決していない。
修論は最初の相談日の後に少しだけ持ち直したように錯覚していた時のおかげで
最悪の事態は避けることができ、そのまま中間発表だけは乗り切ろうということになり、
そしてそのまま「ここまで来たら修了するしかない」というところまで来てしまった。
流されているな、と思う。
自分の意見がなくても人は前進しなければならないらしい。
そんな風に機械のように日々過ごしていれば、
実感をすり減らすのも当たり前かもしれない。
深海をさまよっているような、そんな感覚で昔のような精神を求めていた。

2012年元日の深夜に書いた年間計画は、今はもう目を当てられない。
理想と現実がかけ離れすぎているというのはよく分かっている。
目標がなければなにもならないというのもよく知っている。
しかし、目標が遠すぎてもどうしようもない、という事を学習する事は難しいようだ。

人は本能的に望みに向かって歩く性質があるようで、
今の自分もそういう意味では「変わりたくない」と願った結果なのかもしれない。
今年の年間計画は破綻してしまったかもしれないが、
実は日記を遡ると、四年以上の年間計画ならかなりの数をクリアしていたりする。
四年前の自分にしてみれば、今年の自分は案外上出来だったと言えるかもしれない。

2012年は2011年の続きで終わった一年だった。
366日間で全く成長しなかったはずがない。
年末に至ってそれを見付けられなかっただけだと信じたい。
もしかすると、それを見付けようとする努力が少し足りなかっただけなのかもしれない。
2013年は自信を取り戻すための一年になると思う。
「2011年の続き」からは早く脱出してしまいたい。

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