#3323

大学院生の思い出


今日の出来事 独り言 空想 自分


大学院修士課程の二年間は、“まっさら”から始まった。

大学四年間で僕は他人に対する好奇心を失い、自分に対する誇りを失った。
四年を通して友人が一人もできなかったということは
自分の性質を反映した必然だったのかもしれない。
しかし、それを例え受け入れたとしても、足下が覚束ないことには変わりがなかった。
高校時代の友人とのSkypeやごく稀にある同窓会を除けば、
四年間日常的に同世代との意思疎通をしてこなかった自分。
自己顕示欲の行き場を失い、少なくともそれを“勉強”に充てることができなくなり、
ますます勉強することがなくなり、四年前と何も変わらなかった知識量。
そんな絶望的状況にあって、震災で日本中も暗い気持ちに包まれていた矢先、
僕は大学院から半合格通知を受け取った。

きっとなんとかなるだろう、と思い続けていたのは、単にポジティブというわけではなく
現実から目をそらし続けていたからなのかもしれない。
受験結果が“半合格”だったのは、
大学側にはその時すでに自分の心の内を見透かされていたということなのだろう。
半分落ちることで、すでに大学院生になりたい理由が破綻してしまっていた、
ということは入学前から感じていたが、
心のどこかでその事実から目を背けていたような気がする。
ひとまずこれでどこかに籍を置くことができるんだ、という事実にばかり縋っていた。

同期のメンバーはわずか10人、そのうち同世代の男子は自分を含めても4人。
彼らに対する第一印象は今はもう覚えていないし、
入学式の日に四人それぞれがメールアドレスを交換しあったのを、
かつてのように飛び上がるほど嬉しいと思ったこともなかった。
それは、この面子で自分が溶け込んでいったのが、ある程度自然だったからだと思う。
今思えば、一つ下の後輩たちとの同期だったらとてもやっていけなかっただろう。
それほど、同期の面子は自分が大学生活四年間のブランクから脱出するために
うってつけの環境だったように思う。

それでも人は急には変われないようで、
結局孤独が一番気楽なんだと思ったことも数知れない。
大学時代と違ったのは、そういう風に振る舞っていても
大抵誰かから一度は誘いの連絡が来たことだった。
半学生半社会人という言葉を僕はあまり好きになれなかったが、
少ないグループの中で随時何かしらの役割を割り振るということは、
自分のような人間にとってはかえって気が楽だったと言えるのかもしれない。
大学時代ならその存在さえ知ることはなかった飲み会も、
この二年間は気乗りしないといいながらなんだかんだで極力参加していたし、
それもひとえに研究科独自の係分担があったおかげなんだろうと思う。
仲間内で呑むだけ、というのでは自分は絶対に参加したくないと考える。
しかし、半強制参加で社会勉強のためというのなら仕方がない、という風に、
システムを後ろ盾にすると「こんな自分でも参加していいんだ」という
安堵感のような何かが胸の奥から湧いてくる。
少なくとも、同期生の間ではそういう空気を作る風潮があったように思う。

修論執筆の道中、僕は大学院に来たことを後悔しなかった日はなかった。
大学院というのは、本当に勉強や研究が好きでたまらない人達が集う場所であって、
自分のように就職できなかったから、大学生活で友人ができなかったからといって
大学の延長線上にある“追加のモラトリアム”のためのような場所では決して無い。
周りとの研究意欲に対するギャップは日々劣等感となって募っていった。
それはネガティブ思考へと繋がっていき、さらには日常生活の崩壊をも引き起こした。
傍から見ればその頃の僕は廃人に他ならなかったと思う。

だから、僕は本当なら大学院修了の日に、大学院に対する愚痴を連ねるつもりだった。
しかし何故だろう、今そんな気持ちが微塵もなくなっている。

*  *  *

今日、修了式があった。
ほとんどまともに眠れず、
簡素な式次第の中で大学院のことを思い返すといったこともしなかった。
それは今、引っ越し準備でそれどころではないという事情もあるだろうが、
何よりもそのときは実感が湧かなかった。
長ったらしい学長の告辞を、為になるだろうからと覚えておく気力もなかった。
院生研究室ではケーキを食べたくらいでこの後何か催し物があるわけでもなく、
一旦教授からの借り物を取りに自宅へ帰ってまた戻ってくると、
もうすでに何人かは帰ってしまっていた。
教授に借り物を返そうと研究室のドアを叩いた。
そういえば、こうすることもこれで最後なんだ、という実感もなかった。
教授はそんな自分の気持ちを知ってか知らずか、
これからも編集作業の手伝いを依頼するかもしれない、という話をしていた。

友人に自分の膨大すぎる荷物を運ぶのを手伝ってもらった後、
昼夜逆転病をきっかけにお世話になったカウンセリングの先生を訪ねてお礼を言った。
その後一旦帰宅、私服に着替えて友人とコンビニで待ち合わせ、
外食ついでにこの二年間の象徴とも言えるゲーセンで遊んで、帰ってきた。
疲れていたのか真っ先にベッドに倒れて二時間ほど寝た。

そして起きると、突如として次から次へとこの二年間の事が頭に浮かんできた。
溢れんばかりに「ああ、終わったんだ」という実感が湧いてきた。
そこには妙にすがすがしさのようなものがあった。
おかしい。変だな。大学院生活なんて散々だとずっと思ってきていたはずなのに。
修論も結局研究と言えるのかさえ怪しいようなものしかできなかったのに。
数え切れないほどの黒歴史を繰り返してきたはずなのに。

研究室を訪問した時、ゼミの教授は、
僕をじっと見て、「君にしては、良く出来た二年間だったよ」と言った。
単純でありふれた、ある意味上から目線とも取れる言葉だったが、
僕は今までの教授との付き合いで、それが自分の劣等感によるキャパシティの低さ、
大学院に“半合格”した時点で感じていた研究への意欲のなさ、
昼夜逆転病による“眠たくない時間”の少なさといった諸々の事を考慮したうえで、
今までのことを認めてくれる言葉なのだと分かった。
まず自活できるようにしなさい。20台後半には結婚できるといいね。
今後十年は君にとってきっと楽しいと思うよ。
などと言われて、なんとなく今の自分を待つ未来も絶望だけじゃないかもしれない、
と思うようになっていった。人の心は結構単純なのかもしれない。

カウンセリングの先生にも、同様に「何でも話せる人を見付けられたらいいね」
というような事を言われた。それは困ったらすぐに専門医に相談しなさい、
という意味で言っていたのかもしれないが、僕はそれだけじゃないんだと解釈した。
他人を頼ることができれば人は結構なんとかなる。
逆を言えば、他人を頼らなければ人はいくらでも簡単に荒んでいく。
ということを言いたかったのではないだろうか、と。

僕が大学院生活でよく考えていたテーマは、『自分にとっての他人とはなにか』
というものだった。
今までの自分はこれをずっと軽視してきた。小学校時代から思い返してみれば、
自分にとっての他人というものは常に単純な利害関係の中にしかなかった。
特に、自己顕示欲の発散先という意味合いが強かったように思う。
欲望というものを突き詰めていけば、それももしかすると正しいのかもしれない。
しかし、それだけではない何かが、人と人の間には何かあるのだろう。

こんなことを言う性分ではないけれど、大学院生活の二年間というものは、
あらゆる面で刺激的で、得るものが大きかったと思う。
とりわけ心に残っている2011年07月の模擬授業や2012年02月の随筆発表会などは、
今となっては自分のしたことは不十分だったし、後悔もあるが、
課題に対して真正面に取り組んだ結果、
真正面から褒めちぎられて耳が熱くなるという希有な経験をしたことは事実で、
ちゃんと活かすことさえできれば、この思い出は大きな財産になると思う。

何よりも、二年間でいろいろなものを得られたと思うことができている、
という事実が嬉しい。自分らしからぬことを考えているなとつくづく思う。
その自覚が、もしかしたら成長なのかもしれない。

*  *  *

この二年間は、前の四年間で失ったものを取り戻すための旅路だった。

そんな自分に対して、周りの人たちはありとあらゆるものを分け与えてくれた。
旅の荷物は増え続けているのに、今日はなんとなく足取りが軽い気がする。
しがない旅人たる自分は、彼らに少しでも、何か与えることはできただろうか。

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