#3400

足跡の話


独り言


人生山あり谷あり、とはよく言ったもので、
人は必ずしも昨日の自分より今日の自分が優れているとは限らない。
また、今日の自分よりも明日の自分が優れているとも限らない。
人を取り巻く様々な現象は波のようにうねっていて留まるところがなく、
容易に掴めるようで実は煙のような存在だったりすることもある。

今日言ったことが明日通用するかは分からないし、
他人が言ったことが自分に適用できるのかも分からない。
それではあまりにも不安なので、なにがしかの法則性をなるべく多く手に持っておく。
これが自分の進むべき道だということを明日の自分に言い聞かせようとする。
それでも、よほど確固たる意志がなければ結局は、
明日の自分は思い通りにいかないことの方が多い。

でも、年齢の積み重ねが無意味だとも思わない。
夢ばかり見ていると、足下の日充実な生活が無意味な存在に思いがちであるけれど、
夢も希望もないような目から見てみれば、それはかけがえのない一日かもしれない。
昨日の自分という存在は、現在の自分による解釈で善人にも悪人にもなりうる。
それが山に見えようが谷に見えようが、道という機能的な概念はなにも変わらない。

目的がなければ、結局どんなことも非生産的な作業だと言えてしまうのかもしれない。
目的もなくやり遂げた一日に対する自己評価は常に「楽しかった」「苦しかった」
「おもしろかった」「つまらなかった」といったような、
生理的で抽象的な、それこそ非生産的な感想に埋もれがちである。
一日に対する自己評価に具体性がなければ次の一日につながるはずがないし、
それは一年という単位でも同様のことだろうと思う。
昨日の道のりを山と捉えようが谷と捉えようが、なにかしらの審判を下さなければ、
本当にそれは無意味な一日になってしまう。

そういう風に一日を捉えるのは、
過去の自分か、未来の自分のどちらかに怯えているからなのだろう。
このブログがどこか言い訳がましい口調に落ち着きがちなのも、
そういった後ろ向きな衝動があってこそなのかもしれない。

0

コメントを残す