#3500

ソーシャルゲームの話


文化 独り言


ゲームが趣味だと自称する人間として長く過ごしてきたけれど、
どうも最近流行りのソーシャルゲームというものが好きになれない。
ソーシャルゲームというより、
テレビCMに出てくるような、基本無料を謳ったネットゲーム全般が気に入らない。

初めに断っておくと2012年末には一時期『パズル&ドラゴンズ』にハマった時期もあり、
そういうユーザーフレンドリーなソーシャルゲームは、
新しいゲームのありかたとしてとても面白いと思うし否定するつもりはない。
パズドラが何故面白いのかというと、ポケモンなどに代表される属性の三竦みや、
あるいは一定の制限下で手持ちの構成を決めるRPG的な要素といったものを、
3マッチパズルやソーシャル要素とほどよく噛み合わせたところにあるのだと思う。
それは単純にゲームとして面白いと思うし、あれだけ白熱する人が多いのも十分頷ける。

いわゆるガチャ要素も、出てきたモンスターのタイプや特性を見極めて、
いかにしてパーティに組み込むか、というカードゲーム的要素と捉えれば十分面白い。
そういった偶然性の強い要素を自分なりに組み上げていって、
フレンドにパーティを見せびらかしたり、クエストを手伝ったりできるのが、
ソーシャルゲームの面白さの核なんじゃないか、と僕は思う。

ところが、自称ソーシャルゲームの中にはP2W(Pay to Win :金があれば勝てる の意)
と揶揄されるようなゲームもあるらしい。
それは一見するとソーシャルゲームのように見えるものの、
実際にはクエストの中身は選択肢を選ぶだけという
ゲーム性が皆無でハリボテのような形式だけのものであり、
ガチャにすべてが詰まっているようなものが多い。
ガチャの中身はというと、レアなほどかわいい女の子の姿をした“モンスター”である。
ソーシャルゲームの外側だけをかたどった絵集め遊びというべきか。
そんなのは決して“ゲーム”ではないだろうと僕は思う。

イラスト収集にしたって、架空の恋愛を求めるにしたって、
それには他にうってつけのジャンルや市場があるわけで、
特にソーシャルゲームにする必然性は見あたらないし、
その手のソーシャルゲームが活発にテレビCMを放映するほど成長しているという状況が
本当に自分にとっては理解に苦しむとしか言いようがない。
これは推測だけれど、有料ガチャで手に入れたイラストには、
これはお金をかけて手に入れたものだからかけがえのないものに違いない、
というような意識が先行してしまうのだと思う。
キャラクターそのものが好きなら、
なおさら「これは自分だけのものだ」という錯覚に陥りやすい。
その感情をキャラクターへの愛情と混同してしまっているのではないだろうか。

そこにログインボーナスや強化合成などのレアリティが上がる(絵柄が変わる)要素、
あるいはソーシャル要素なども加わってしまうと結構な中毒性がある。
なるほど、良くできてるなと思う。
そこに「これまでこれだけの金額を使っていたのだから」ということを思い始めると、
抜け出すには結構な気力がいるのではないだろうか。
前にソーシャルゲームを「ゲームとは違う、パチンコのようなもの」
と言っていた人をネットのどこかで見かけたが、確かにそういうものなのかもしれない。

念を押しておくと、僕はここで実際に本格的に体験したこともないソーシャルゲームを
真っ向から否定するつもりはないし、そのユーザーを馬鹿にするつもりも毛頭ない。
ただ、ゲームの情報を集めていると否が応でも耳に入ってくる
ここ1〜2年のソーシャルゲーム市場を遠巻きに眺めていて、心底怖いと思っただけだ。
パズドラのようなソーシャルゲームの仕組み自体はとても面白いと思っているので、
いつ自分がイラスト集めの方に落ちてもおかしくないと思っている。

そして、もしそういったものが自分の中で、あるいは世間の中で主流になったとき、
ゲームは一体何のためにするのかという根本的なところ揺らいでしまいそうで怖い。
ゲームはその制限状況下で自分らしさを追い求めるから面白いのであって、
実際のお金やランダム性だけで自己顕示欲を満たせるようになってしまうと
「ゲーム性」が必要なくなってしまう。
ゲーム性というのもよく分からない言葉だけれど、そのよく分からない何かを、
自称ソーシャルゲーム市場は奪ってしまう力があるように思えてならないのである。

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