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独り言 自分


昔の僕は、年齢を重ねるにしたがって、
物事を発展させられるようになるのが当たり前だと信じて疑ってこなかった。
それも、まったく新しいものに着手することは発展とは言わず、
既存のものについて、去年の自分ができなかったことを成し遂げることこそが、
成長するということ、ひいては大人になることだと思っていた。

だから既存のものに行き詰まりを感じたとき、
特に、本音で言えばすでに飽きてしまっているようなとき、いつも悶々とする。
しかし、飽きた、とはなるべく言い切りたくない。
最近の僕は“今の自分”よりも“昔の自分”が主導権を握ることが多く、
飽きた、つまらない、といった感情は押し殺す癖がついてしまっている。
これまでの流れを尊重していると言えば聞こえがいいが、
要するに、他人がいっさい関与しないようなところでさえも自主性がない。
大人なんだから飽きるのが早いのは当たり前、
それをある程度我慢しなければ成長はあり得ない。
そんな風な思考を未だに信じたいと思っている自分がいる。

一方で、全く新しいものに着手して、それがある程度自分の糧になったときは、
「これは以前やっていたあれの流れを汲んだものだ」
というように、過去の業績を引っ張り出してきては比較しようとする。
要するに、僕は過去を信仰してしまいがちなのだ。

人間の人生は、常に真ん中に一本の木が立っている。
どんなに枝分かれしようとも、出生から続く幹は必ず今も続いているはずだ。
というような理念が、多分僕の中の根底にはあるんだろう。
だから24歳という一年間は、それは常に「23歳の続き」でしかない。

これから踏み出す25歳の一年間も、多分前の歳の続きなのだろう。
前例があるという安心感は確かにある。自分の中に拠り所が存在するとも言える。
でも、このままでは羽が生えるようなことは一生あり得ない。
本物の大人になるには、どこかで「捨てる覚悟」も必要になってくるような気がする。

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