#3667

片想いの話


独り言 自分


こう考えると、自分にとって恋愛の上で必要なものというのは、
全く未知のものに対してどう切り込んでいけるかという積極性、
あるいは新しい何かをいかに受け入れるかという他人本位な姿勢なのかもしれない。
僕はよく分からない要素を多分に含んでいる“他人”という存在よりも、
完全に自分が把握し、自分が制御することのできる創作世界を選んだ。
それが正解だったのかどうかは分からないけれど、
これは2003年に始まる片思い遍歴を歩いてきたすべての自分が、
必ずそっちの方を選ぶであろうことについては確信を持てる。
それが、自分が片想いという地点で満足する最大の理由であり、
恋愛が客観的に見て成就していない原因なのだろうと思う。

でも、それは決して失恋したということにはなっていない。
僕は当時の自分が好きだと思ったことのあるすべての相手に対して、
別に成就の可能性を失ったからといって失恋してしまったとは思っていない。
多分、長いこの片思いの道のりのなかで、片想いを創作の世界に落とし込むことで
恋愛感情を満足させるというプロセスに、自分の身体が慣れてしまったんだろう。
だから、巨大なリスクを背負ってまで告白しようとしなくても、
創作という形で手元に置いておけばそれだけでなんとなく満足してしまう。
恋愛が本当に上手くいく人は、そんな手段を知らないからこそ、
好きになった相手には告白するしかないのであって、
僕の場合はそれ以外の手段を見付けてしまったからこそ告白できないのだ。

結局、何が正しくて何が間違っていたのかは今はまだ判断できない。
僕にとって創作が恋愛成就の可能性を阻んできた存在と言うこともできるだろうが、
創作をそういう風に否定的な目で見たくはない。
今の僕が一番にやるべきなのは、
こうして恋愛の可能性をすべて捨ててまで手に入れた十年以上の創作の蓄積を、
なんとかして昔の自分が満足できるように具現化することなんだと思う。
創作に関して決着が付かずにこのまま時間だけが過ぎていけば、
おそらく今後出会いに恵まれても恋愛は成立しないだろう。
このまま創作が全くの中途半端のまま宙づりになってしまったら、
十年くらい経ってから今度は
「何故あれだけの犠牲を払って作ろうとしたものさえ途中放棄してしまったんだろう」
と後悔してそうな気がする。
もちろん、そんなことを思うようでは十年後も恋愛は成立していないだろう。

恋愛や創作に関して僕は、ずっと周回遅れの人生を歩んできた。
前にやっていたことを後悔するだけで時間が過ぎ、その間にまた次の後悔を生み出す。
最初の後悔を忘れられたと思ったら、また別の後悔が頭をもたげてくる。
その繰り返しで「今」と向き合う機会がなかなか得られない。
今するべきことを確認しようとしても、後悔によって妨げられている節がある。
きっと、そうやって今と向き合わない方が自分にとって心地良いからなんだろう。
恋愛が成立したことのないというステータスに対して、どうしても若干の劣等感はある。
けれど、それが幸福かそうでないかと言われたら、決して不幸ではないと思っている。

恋愛というものは、いきものとしての“自分”と、社会の一員としての“自分”の、
それぞれが矛盾した欲求とどうやって向き合っていくのかという、
巨大な問題をはらんでいると思う。また、自分らしさというよく分からないものと向き合い
その正体を掴まなければ乗り越えられないものでもあると思う。
思春期後期の僕は、趣味を語らずに恋愛ばかりを語るロマンチストを
心のどこかで見下していたが、
よくよく考えれば、そういう風に欲望に対して正直になることができ、
それを曲がりなりにも異性に認めて貰えるというのは凄いことなのかもしれない。
僕がたった一人の人間に肯定してもらえるようになるにはまだ随分と時間がかかると思う。
作りかけを他人にさらけ出すことのできる人が羨ましい。

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