#3800

花を見ていた頃


未だに恋愛というものが分からないまま今日まで生きてきた。
今まで、学生時代にそれを体験するに至らなかった自分を散々責め立ててはきたけれど、
最近は「知らないものは出来ないのだからしょうがない」という考えもするようになってきた。
要するに、僕は知らなすぎるのだ。
恋愛がそもそも何なのか知らないという以前に、異性を知らなすぎる。
知らないものを触れるのには勇気が要るし、リスクも背負わなければならない。
それに見合う報酬も「よく分からないもの」なのだから、昔の自分が実行できるわけがなかった。

僕は、2004年夏のあの日から長く続いた理想恋愛に関する云々について、
今年初頭に唐突に見た夢について考えることで、ようやく一定の結論を得たと思っている。
理想恋愛というのは、本物の恋愛とは全くの別物だったということについて、
ようやく納得できるようになったと思っている。
思春期の甘酸っぱい妄想を形にしたいなら、
それはもう誰の手も借りず、自分の手で創作として落とし込むしかない。
理想は理想であって、所詮はこの世界には存在しない。
しかし、それはそれであって、本物の恋愛は別にある。
今までは、それが理想恋愛の影に隠れてよく見えていなかったから考えもしなかった。

本物の恋愛に霞をかけてきた原因は常に、理想の偶像であり、ぬけがらだった。
それは到底手の届かないクラスのアイドル的存在だったり、壁の向こうの存在だったり、
夢の中でしか現れない存在だったりした。
彼女たちと自分は対等ではないということにすら気付かなかった頃はまだ幸せだったと思う。
対等ではないと知って、ようやくそこに霞がかかっていることを知る。
思えば学生時代に、“理想の相手”を見出してきたことは当時はこの上なく幸運だと思っていたが、
それが本物の恋愛を遅らせる原因になったという意味では、
必ずしも運が良かったとは言えないのかもしれない。

もしも自分が本物の恋愛をする日が来るとしたら、相手はとても平凡な人間だと思う。
そこに理想を求めてしまうと、理想恋愛と決別したことと矛盾してしまうので求めようがない。
じゃあ誰でも良いのかと言われると、そういうわけでもない。
平凡でも自分に近い“何か”を持っている人であって欲しいとは思う。
しかしそれを求めることで結局理想恋愛に近付いてしまうのではという懸念もある。
そうすると一体自分は何を求めているのか分からなくなる。

結局、異性を知らないことが、恋愛に関して一歩を踏み出すことを邪魔しているんだろう。
学生時代は、恋愛のためのモラトリアムというよりは、
異性を知るためのモラトリアムだったのだと思う。
男子から見た男子と、男子から見た女子と、女子から見た男子と、女子から見た女子は、
同じ人間でもまるで住む世界が違っている。
今の自分はまだ、三軒隣の世界に土足で踏み入れる勇気はまるで無い。
いつかその世界を垣間見る日がくるのかと、他人事のように思っている。

知識が無いからこそ、理想で穴を埋めようとする。
現実から乖離するほどに、その理想がさも本物であるかのような錯覚に陥っていく。
恋愛のような、一人ではどうしようもないようなことほど、
理想という名の霧は深いのかもしれない。
恋愛観のみならず、思春期に生み出した霧は果てしなく多く、
それを掃除するのがこれからの使命であるような気がする。
果たして僕の頭の中で、本当に霧が晴れてくれる日はくるのか否か。