#4183

過剰な計画信仰


今日の出来事 自分


最近どうも、休日計画そのもの存在意義が自分の中で揺らぎ始めているので
その辺の頭の中を整理がてら書き殴ってみることにします。

自分は小学校時代の頃から計画することが好きでしたが、
最初の頃の計画というものは特別な時期を前にして、
それに対する待ちきれない思いを少しでも満足させるための手段であり、
いわば高まりすぎた期待を制御するためのものでした。少なくとも高校時代まではそうでした。

大学時代も長期休暇は同じような感じだったと思っていますが、
いつの間にか、本当にいつの間にか「趣味系作業」という言葉が自分の中に浸透して
本来趣味でやっていたはずのブログ執筆やwebサイト更新作業、
果てはゲームプレイそのものに対して、
事前に「これとこれは優先してやるべきだ」とかいう審判を下すようになっていきました。
多分、ブログしかりゲームしかりその他の趣味しかり、
そうしないと持続することが難しいからだと思ったのがそもそもの発端だと考えています。

ブログに関しては、ノープランでリアルタイムな感情や出来事を
発信していくに越したことはないと思う一方で、こうした計画ありきの執筆環境は、
ある意味でブログが捗らない日の自分にとって不可欠な環境であるとも思っているので、
とりあえずブログにしてはそこまで外れていないんじゃないかとは思います。
しかし、今年に入ってからの、
休日計画をあまりにも重視し過ぎるスタイルはあまり良くないのかなとも思っています。

最近は平日の後半になると「休日は何をしよう」というところに心を奪われがちで、
しかもそれは大抵先週のリベンジであることが多く、
今週新登場の要素は皆無であることは珍しくありません。
もちろん細かいところを見ていけば先週から変わっているところはあるのですが、
コンシューマーゲームで遊ぶにしてもタイトルはもう決まり切っていて
それ以外には目もくれず、何故そんなに視野が狭くなってしまうのかというと、
先週でやりきれなかった目標を突破していないのが苦く心に残っているからです。

要するに自分の中には、ゲームを含めて趣味をやるからには、
“何らかの達成感”、もっと言えば名声を得られるような実績がないと満足できない、
と思い込んでいる節があって、それのためにゲームをやっていると言われても否めないのが
今の状況だと思うんですよね。ピクミンシリーズがまさにそれだと思うし、
最近流行りだした各種RTAもそう、
ただプレイするだけではもう満足できないから、という言い訳はあるものの、
冷静にこうして文章に起こしながら考えてみると、
本当にそれでいいのかという疑念が立ち上ってきます。

今の自分の計画の立て方は、平日のうちに休日の自分を縛り付けているだけに過ぎず、
せっかく自由に過ごせるはずの休日を台無しにしてしまっている感は否めません。
しかしかといって、完全に何も考えずに休日を迎えたら
それはそれで自堕落に過ぎ去っていくのはもう明らか。
休日計画は、先週着手しなかったものを探すことをもっと優先してみてもいいのかもしれません。
ただ、あまりにも今の自分のキャパシティを超えるようなことを計画してみても
結局頓挫するだけで何も変わらないわけで、この辺のバランスが本当に難しいです。

ハッキリ言ってしまえば今の生活は刺激が少なすぎるというのが率直な感想ではあります。
ここで何か熱中できる新しいものに出会うことができれば、
遠慮無く既存のものを放り捨てて没頭することができるんじゃないかと思うのですが、
そういえばそんなことをもう長らく思い続けているような気もするなぁ……。

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