#4195

激震


ゲームのプレイ日記 今日の出来事 独り言

最初にその公式情報をTwitterで目にしたとき、部屋は暑いのに背筋が凍る思いがした。
目の前の字面を理解できるけれど信じたくない、という感覚はあまり心地よいものではなかった。

2015年07月11日、任天堂取締役代表の岩田聡社長が逝去した。

ゲーム業界最大のイベントであるE3 2015からまだ一ヶ月も経っていない矢先のことである。
かねてより体調が良くないことは噂されていた。
以前に胆管腫瘍で手術をしたことが発表されかなりやせ細っていたことがあったが、
手術後久々に登場した『Nintendo Direct』では快調に向かっていることを本人から告げられ、
E3 2015では日本から「Iwatter」と称して解説ツイートを発信していた。
その後の定例株主総会で質疑応答に答えていたのは06月26日、つい二週間前のことだった。

*  *  *

スーファミをきっかけとして始まった僕の約21年間のゲーム遍歴のなかでも、
SFC/GB時代の象徴的な作品として『星のカービィ スーパーデラックス』がある。
ブログでは何度も何度も言及しているが、
当時は他に例の無かった協力系マルチプレイの面白さに惹かれ、
縁の薄い知人宅にまで乗り込んで遊びに行ったものである。
1990年代に遊んだゲームの中でも、攻略本からファングッズまで揃えたのはこれが唯一だった。
N64/GBC時代では『大乱闘スマッシュブラザーズ』を毎日のようにやり込んだ。
持ちキャラはもちろんカービィ、
“ハイラル城” などスタンダードな場所を舞台にひたすら対戦したり、
“いにしえの王国” で特殊ルールを決めた遊びなどをしていた。
今でもなお遊び続けている『スーパーマリオサンシャイン』は
発売当時は金銭不足ゆえになかなか手が出ず、
当時の友人に頼み込んで貸して貰い、青コイン探しに明け暮れていた。
岩田社長就任の年に出会ったピクミンシリーズも今でも続いており、
特に今日で二周年を迎える『ピクミン3』は二年間でプレイ時間550時間を超え、
歴代最長記録となるのはもう時間の問題である。

そのすべてのスタッフロールに「Satoru Iwata」の名が刻まれている。

小学校時代から今に至るまで、僕が生きる上で影響を受けた彼のタイトルはもはや数え切れない。
代表作はと言われれば『星のカービィ』や『バルーンファイト』を挙げるのが
ファンとしては模範解答なのかもしれないが、
僕個人としては思い入れがあるゲームが多すぎて、ひとつに絞り込むことは到底できない。
それほど自分のゲームプレイ遍歴に深い根を下ろす人物だった。
あまりにもゲーム業界に当たり前のようにに存在する人物だったから、
いなくなった後のことは今までに一瞬たりとも考えたことはなかった。
だから未だに現実が受け入れられない。
思い入れのあるソフトを挙げられないのはその数が多すぎるからというよりも、
岩田社長のいない時代に投げ出されてしまったことに実感がないからなのかもしれない。

ゲーム業界にとって今日は、ひとつの節目の日だと思う。
ゼロ年代前半の、あの矢継ぎ早のようにソフトがリリースされる盛況の記憶をぬぐい去る前に、
それを作り上げた張本人に去られてしまった。
取り残された一介のゲーマーたる僕はただただ呆然とするばかりだ。
これからこの業界がどのように変化していくのかは誰にも分からない。
見えない未来の行く末を静観しつつ、たまには十年前の思い出のゲームにも手を伸ばし、
それをつくった人たちのことに想いを馳せてみるのも良いのかも知れない。
そこにはプログラマーとしての岩田社長の、ゲームへの情熱が今も色褪せず、
直接、吹き込まれているはずである。

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