#4263

後輩の話


今日の出来事 独り言 自分

今月のピークとも言える仕事場で迎えた昼休み。
自分とチームメイトの一人の二人きりで休憩室に入ると、開口一番にその人は、
「今月で辞めることになりました」と言った。
そしてありきたりな言葉を続ける。
「これからすごく迷惑かけることになると思いますけど、ごめんなさい」

その人は、あの年度末繁忙期の真っ直中に入ってきた自分にとって初めての後輩だった。
年齢を聞いたことはないが、おおよそ二つくらい年上か。会社全体からしてみれば若い。
あの年度末の地獄を切り抜けたあとにチームからは立て続けに二人が辞め、
自分が現在携わっている仕事は、自分がいつの間にか最古参になってしまった。
その穴を埋めるように、その人は辞めていった人の後釜として責任者の椅子に座らされ、
最初は会社全体でその人をフォローしようという気概があったように思える。
当人も、何を背負っているのかは知らないが、仕事に対しての意欲は人並み以上だったし、
夏に入るまではその調子で順風満帆にやってこれたように思う。

雲行きが怪しくなってきたのは夏の山場でもあった07月に入ってきてからだった。
その人が仕事の計画で行き詰まると上司に助けを求めにいこうとする。
現場では解決のしようがない問題なのだから、それは当然の筋ではあると思う。
しかし上司側からしてみれば、行き詰まってどうしようもないものを解決してくれと言われても、
どうしようもないものはどうしようもない。
そして、「何故そうなる前に相談しなかったのか」と攻められることになる。
ベテラン村とその外との間にある壁というべきか、新人が必ず通ってきた理不尽の壁だ。

次第に、その人の中でも上司に対する恐怖心が芽生え、仕事に対する自信を失い始めたのか、
昼休みで二人きりになるたびに、「もう限界。いつか爆発するかも」などとボヤいていた。
中間管理のポジションは常に板挟みの苦悩に晒されている。
現場の代表として実績を報告するプレッシャーがあり、効率が悪ければ上司から怒られるし、
スケジュールを詰めれば負担のかかる現場側から不満の声が漏れ出てくる。
八方美人では到底つとまらない、嫌な仕事だとは思う。

僕はその人とはまた別の責任者の椅子に座る立場として、
その人のことを常に後輩だということを意識して仕事をしていたわけではない。
が、あるときからことあるごとに質問や相談を受けるようになり、
それに応えるうちに無意識的に先輩風を吹かせていたかもしれない、という自覚はある。
もっと言えば、依存されていたんじゃないか、という実感さえある。
上司の目を盗んで今後のことについて二時間以上も話し込んだこともある。
繁忙期になれば愚痴聞き役に徹していたし、本心からそれに同情していたつもりだった。
だから今日、辞めるという話を聞いたとき、胸にぽっかりと穴が空いたような気分になった。

本人曰く、今の仕事は精神的に辛いので10月には辞めたいということを社長に話したが、
まったく聞き入れてくれず自分の考えを話すばかりで苛立ったので、
別の日に上司に09月末付けで辞表を出したらあっさり受け入れられたとのことだった。
そんなので通るのかとも思ったが、「次の仕事はもう決まっています」と言ってしまえば
会社側はそれを受け入れるしかないのだろう。
会社側は、それをどうしようもないことだと理解した上で、
以前からあったはずの救難信号を見つけて何とかする姿勢だけは見せるべきだったかもしれない。

辞表を出すに至った本当の原因は、
本人が「何故今の仕事が辛いのか」を説明できなかったからかもしれないし、
それを説明した上で会社側が打開策を提案できなかったからかもしれない。
それとも、ただ単に一度会社側の人間を嫌ってしまったら歯止めが利かなくなった、
ということなのだろうか。上司の前で「できません」とは言えない性格ということもあって、
何か胸の内には大きな闇が渦巻いていたであろうことは確かだ。
僕は、その人が休憩時間に愚痴を呟きだしてからは
自分なりに精一杯フォローしたつもりだったし、
現場のチームメイトでその人に辛く当たる人はいなかった。
責任感は十分あり、表面上はその人の失敗で仕事が回らなくなるようなことはなく、
今春以降チーム内では明らかなスケジュールの破綻は一度も起きていない。
過去辞めていった人の誰しもが一度は大きな失敗をしていて、
この人はいつか辞めるだろうな、と思うような気落ちを見せつけられていたのに、
その人には辞めるのを納得できるような出来事がひとつもない。

僕は、その人がいなくなることに対して、会社側の味方をするつもりは毛頭無いが、
戸惑いや孤独感、今後の不安といったものの影にわずかな憤りがあることを認めざるを得ない。
今まで辞めていった人が、その人が適正外のことをやらされていたり、
上司に目を付けられいたりといった会社側が原因の納得できる理由があったのに対して、
それがすっぽり抜け落ちている今回は、どうしても腑に落ちない。
実は月末になってやっぱり辞めるのを止めました、と言い出すのではないかとさえ思っている。

結局のところ、あんな風に頼られていたのも、よく会社の悪口を言い合っていたのも、
本心では信用されていたなかったということなのか、とも考えてしまう。
辞めて人が減れば現場の人間に迷惑がかかる、ということを知っていて、
かつ現場の人間を信用しているなら、辞めたいという話はまずこちら側にくるはずだからだ。
前に一度、お互いに会社の不満を垂れていたときに「一緒に辞めますって言いに行きましょうよ」
などと言っていたのを聞いたことがある。あれがあの人なりの救難信号だったのだろうか。
そのときは冗談半分なのだろうと適当に受け答えてしまったが、
本当なら真剣に話を聞くべきだったのかもしれない。
しかし、根本的に解決できる力を持たない自分がいくら真剣に話を聞いたところで、
その人が上司に対して失望している限りは状況は変わらなかっただろう。

学生時代の一時期にコミュニケーションを拒絶していた僕が、
今更“他人”から人望を勝ち取れるなどとは思っていない。
仕事を続けるか否かという人生の分岐点に立った仕事仲間からその選択を任されるほど、
偉い人間になったとも思っていない。
それでも今回の件は、もう少し何かできたことはあったのではないか、という後悔の念がある。
下に付いた人の欠点はもっと貪欲に知ろうとしても良いのかもしれない。
それを受け入れる覚悟が自分にはまだ足りなかったかもしれない。
今の未熟な自分ではどうにもならない何かが、現場の状況を一変させてしまっていたことに、
ある種の理不尽さを感じずにはいられない。

できなくないからといって、辛くないとは限らないということなのか。
表面上は責任感があるしっかり者でも、裏では悲鳴を上げていることもあるということなのか。
2013年以降、浮かんでは消えるように人と出会っては分かれていく日々の中でも、
今回は誰よりも考えさせられる出来事であったように思える。
そして、人員が減ってもしも補充がされなければ、僕が何かしらを兼任することは明白である。
心の負担も増すだろうし、このまま冬の繁忙期に突入すれば何もかも潰れてしまうだろう。
次に本当に辞めたくなった日に、
果たして僕は周りのすべてを納得させられる形で辞められるのだろうか。

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