#4441

生半可な当事者


あの大震災から五年、ということで自分も今日は随筆で振り返ってみようと思っていたのですが、
少し振り返ってみて、思いの外自分は五年間でさほど真剣に震災と向き合っていないし、
そんな生半可な気持ちを文章にしても被災者に失礼だろうということで止めました。
もうこんなに経ったんだなと思わされる一日でもあり、
また同時に、それに対する向き合い方というものが未だによく分かっていない自分がいることを
改めて思い知らされた一日でもありました。
原発事故の完全な決着には半世紀はかかると言われているので、
たぶん3.11は今の時代を生きる人が一生胸に刻むことになる事件だとは思うんですよね。
あの日をきっかけに生活も世論も景気も政治もいろいろ変わってきたわけですが、
どうにも当事者意識が薄いというか、そこに近付いていけない自分をもどかしく思っています。
きっと今の日本史の教科書にはこのことが載っているのでしょうが、
じゃあ例えば30年くらい経って自分が五十代になったとき、
震災のことをさっぱり知らない次の世代に何を話すことができるのかということを、
自分なりにまとめておかなきゃいけないと思うことがあり、
それに応えられていないのがモヤモヤの原因かなぁとは思っているのですが。

2001年に同時多発テロ事件が起きたとき、その3年後の世界史の教科書の末尾には
そのことが少しだけ書いていて、ああ最先端の時代に生きているんだなぁと思ったのですが、
結局、リアルタイムでは対して興味も持てなかったし、
そのおかげでイラク戦争の内実に関わる諸々の知識も未だに持っていなかったりします。
震災も同じで、震災当時はいろいろとかじりついていこうという意識はあったのですが、
結局そんなことよりも自分自身の問題の方が重要かつ興味深かったりして、
そんな風にいつも時事問題は自分にとって忘れ去られていく運命にあるんですよね。
これは多分世間一般でいうところの時事問題だけじゃなくて、
趣味の分野でもそうで、なんとなく自分は「最先端」についていくのが苦手のような気がします。
Twitterもブログもそうでしたが、一度ぐるっと眺めてからじゃないと手を付けられないというか。

多分、何らかを発信したいと思うならそういう意識はあんまり良くないんでしょうね。
でも必要に迫られないと本当に知りたいという気持ちはなかなか動かないのもまた事実で。
それを無理矢理動かすことも考えてみた方がいいのかなぁ、
などと思った震災五年目の節目でした。