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受け継がれる否定的目線


自分はいわゆる「ゆとり第二世代」で、小学校中学年まではアナログゲーム、
高学年頃から本格的にポケモンを筆頭とした家庭用ゲーム機の波にもまれた世代で、
それはもう幼い頃から親世代に
「ゲームはほどほどにしろ」「ゲームをしていると頭悪くなる」「ゲームは一日1時間!」
などと口酸っぱく言われたものです。親よりも教師など家庭外の方が声は大きく、
2003年冬祖父母家帰省で初めて据え置きゲームを持ち込んだときは、
祖父を筆頭とした親戚の大人たちに白い目で見られたのを今でも覚えています。

しかし結局のところ、自分にとってはそんな冷たい大人たちの眼差しよりも
同世代がみんなゲームで遊んでいることの事実の方が重要に思われ、
そのままゲームを遊ぶことがアイデンティティと強く結びついた結果
歴22年となる今現在もゲームに触れながら生きているし、
たまに会う同世代にも少なからずそういう人はいます。
自分にとってコンシューマーゲームは未成年時代の象徴であり、
また同世代の中心文化であるので、どうしても否定的な意見が受け入れられずにいました。

ところがここ何年かでいわゆる「スマホ世代」あるいは「脱ゆとり世代」(1997年度生まれ以降) が
ネットコミュニティにも本格的に台頭してきて、自分の世代は一番下ではなくなりました。
その行動を見ていると、親世代が自分世代のゲーム文化に対して否定的だったのと同じように、
今度は自分が下世代に対して、震災以降の未成年文化の中心地であろう動画サイト文化を
どこか否定的な目で見たくなることがしばしばあります。
いろいろと「ゲームは良いけれど動画はダメな理由」を模索していた時期もありましたが、
それは要するに自分の世代は間違ってないと思いたいだけの言い訳探しで、
それぞれにとっての上世代に疎まれる原因は共通しているように思います。

要は、00年代で言うところのゲームや10年代で言うところの動画文化というのは、
その上世代からしてみれば「対外コミュニケーションを必要としなさすぎる」んですよね。
ゲームはもはやソーシャル化して久しいので、プレイしている限りひとりぼっちというのは
(ネットコミュニケーションをまっとうな対人交流として含めれば) あまりないのですが、
考えてみれば脳トレ以前のゲーム文化のうち自分を虜にしてきたタイプのゲームというのは、
時代を遡れば遡るほど一人プレイの割合が多かったように思います。
ゲームというメディアが登場したときは専ら一人で遊ぶイメージが強かったので、
「これに一人で没頭していたら将来社会から孤立してしまうのではないか」
という不安感が親世代の中に募り、それがゲームを悪者扱いする思考に繋がったんじゃないか、
などというのは、まぁ邪推ではあるのでしょうが、
実際のところ、下世代が延々動画を観ているのを見ていると同じようなことを思うんですよね。
動画サイトこそ、他人と (作品と通じて) 関わっているように見えて
その実まったく関わることのないメディアなのではないか、と。

これはゲームに限らず、他の各種メディアや娯楽群に関しても同じようなことが言えると思います。
仮に自分に子どもがいたとして、ひたすら詰め将棋の本を読んでいたら不安になるだろうけど、
将棋クラブに入った、とかならきっと前向きに応援できるだろうと思うんですよね。
ゲームも一人でひたすらスコアアタックのハイスコアを詰めていると
親から「またゲームばかりしてる」とよく言われたものですが、
「ゲームしに友だちの家に行く」と言って下校後夕食前まで帰ってこなくても
帰宅してからそのことで何か否定的に言われたことはなかったように思います。

そういうわけで、00年代前半に散々口酸っぱく言われてきたことの正体とは、
「そんなことを続けていくと対人関係で未熟なままになるかもしれないけどいいのか」
という注意喚起だったのではないかと、今更のように思う今日この頃です。
そしてそれは、今現在コミュ力で悩む自分を見る限り、
多数の大人が送っていた視線を無視し続けてきたことは失敗だったんだなぁとつくづく。
同世代がみんな同じようにゲームしている以上、
ゲームと決別することが正解だったとは思いませんが、
「ゲーム以外」をとことん切り捨ててしまうか否かという程度の問題で言えば、
まぁ自分はどこかでさじ加減を間違えたんだろうなぁとは思います。