#4485

明日を見ない覚悟


空想 自分


優柔不断もここまで来ると一種の病気なのではないかと思い悩む今日この頃。
やらなきゃいけないことは明確で、それに必要な一歩も明確。
自分にできそうな範囲を見極めることもできるし、
「あ、これなら出来そうだな」と思う瞬間も必ずある。
それなのに一日を終えてみるといつの間にか何も進展しないまま終わっているという繰り返し。
生活リズム崩壊とそれに伴う憂鬱な日々は遠ざかったように思っていましたが、
もしかすると眠気云々にかかわらず、自分の根本的なところにある鬱的な何かは
大学時代から変わらずに心の奥底にあるんじゃないかと思い始めています。

例の旅行計画は既存の価値観の枠を飛び出してみたいという気持ちや、
あるいは現在の鬱状態に繋がっていると思われるマンネリな日々をぶちこわしたい、
という気持ちがあってこそだと思っていたのですが、
計画が進んで砂上の楼閣が改修を続けていくうちに現実味を帯びてくると、
今度は自分の現状とそれとの相対距離に目を向けざるを得なくなり、
かえって現状の憂鬱状態が浮き彫りになってしまったかの感は正直否めません。
今月上旬に旅行ガイドブックを買い漁っているときは本当に楽しかったはずなのですが、
煮詰まってきてむしろ焦りの方が勝ってくると、
なんでそんなに焦っているんだろうと考え、
そしてそれは「旅行をする自分」と「普段の自分」にギャップがありすぎるから、
旅行を決心するのに並々ならぬ情熱が必要なのだと思い込んでいるからなのではないかと。
だから楽しさというより不安が勝るし、一人旅計画ってこんなものなのか、と思うこともあれば、
こんな状態で決行しても損なだけなんじゃないかと思うこともあり、
もう本当に悶々としています。

これが修学旅行のグループ自由行動計画とかだったら大義名分は学校が作ってくれているわけで、
本当の意味で自由な発想で計画を組んでいたんだろうなぁと。
完全に自由なはずの一人旅計画の方が束縛感を強く感じるのも不思議なものですが、
考えてみれば一人旅も自分ができる範囲に限られるわけで、
アウトドア経験の薄い自分はそれが狭いのは言わずもがな。
それが理想と現実との間に溝を作り、不甲斐ない自分に嫌気のさす原因になってそうな……。
回を重ねれば旅行に必要な行動力も推し量れるようになって
本当の意味で楽しむこともできそうな気はするのですが、
元々初めての挑戦に対する抵抗が大きい自分にとって、
最初に越えるハードルはかなり高そうだし、
それに6桁級のコストをかけていいものなのか、という疑問も。

と、いろいろ不安がってはいますがそれも計画が進んでこそのもので、
近畿~東北まで一周しかねない元の計画もこの二日間で大分圧縮が進んで、
これならまぁ現実的に3日くらいでまとまりそうかな、というところまでは来ています。
が、元々先々週に終わらせるはずだった肝心の各種予約は未だに手付かずで、
いざ計画を組み終わってもそこで破綻する可能性は否めません。
ここまで来てしまうともう計画そのものを捨てるのにもそこそこ覚悟が必要で、
なんというか落ち着かない日々が続いています。
自分に一人旅行はまだ三年ほど早かったのかも。
でも三年後の年齢を考えると手遅れの可能性もあり、そこでまた悶々とするんですよね。

まぁなんだかんだで2006年の沖縄旅行も出発寸前まではぐちゃぐちゃ言っていたのに
帰ってみれば清々しいほどの手のひら返しをしていた記憶があるので、
この辺は自分みたいな人間が旅行を企てる際のひとつの性質なのかもしれません。

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