#4544

集中力の起点を求めて


自分


日々のルーチンワークにおいて、繁忙期の対人関係のゴタゴタを抜け出すと
次に問題になってくるのは、大抵が集中力持続の問題だったりします。
急がないし無茶苦茶な量でもない、
でもそこそこの時間コストはあるしやらなくていいわけでもない、他人にも投げられない。
そんな仕事ばかりが続いているとそのうち退屈との戦いになり、
いかにして集中するかというところに意識を向けるようになるわけです。

これが仮に自分のためだけにやっている趣味系作業だったら、
「今日はやる気が出ないからまた明日でいいや」で済むのですが、
重要度がそれと同じようなレベルにあるようにも思える仕事というものもたくさんあって、
それが例えば突発的に頼まれたことならいいんです。
しかし自分がやる部分が日課に組み込まれ、当たり前のルーチンの中に埋没してしまうと、
それをやるのが当たり前で誰もありがたがらなくなり、ますます無反応になり、
結局のところ自分で自分を焚き付けるしかなくなります。
それが担当二人以上のチームワークとして組み込まれるならともかく、
たった一人だと「もっと早くやってくれないと困る」と叱ってくれる人さえいなくなります。

自分は今の会社に通い始めてから最初の一年半くらいの暗黒期は、
それでもまだ目の前のことに取り組むしかないんだと割り切って動いていた気がしますが、
さすがに二度の繁忙期を超えた今は同じ状況では満足できなくなり、
今はいかにして退屈に勝つか、目の前に集中することができるか、
という題目が日中の悩み事の多くを占めていたりします。

うろ覚えですが、七年ほど前に読んだある本に、
集中力というものは「夢中」でも「興奮」でもない、
いつもより少しばかりテンション高めの「平常心」である――
というようなことが書いてあって、なるほどなあと思ったものですが、
それ以後、自分にとっての「平常心より少し高め」というのが
どんな状態なのかという疑問については未だに決着を見ていません。
ただ、ここで指している言葉の言わんとすることは分かる気がするんです。
趣味系作業でも仕事でもゲームでも読書中でも何でも、
「あ、今の自分は集中できていたな」と気付く瞬間は確かにある。
気付いたときは大抵下り坂なのですが、でも確かにそういう感覚は今でもたまに体験します。
ただ意図的にそういう状態を引き出す方法は皆目見当が付かず。
強いて言えば、物事を楽しめる、あるいは楽しむために工夫をしたいと思う心の動きが、
集中力を引き出すためのトリガーになっているような気はしていますが、
決して面白いとも限らない、しかも日々のありふれたルーチンワークを
楽しいものに変化させるのはなかなか難しいような気もします。

楽しむことが答えだと仮定するならば、
作業工程そのものを楽しむ工夫を凝らしてみることはひとつやってみる価値はあるかもしれません。
思えば数多くのプライベート作業はもはや作業そのものには目もくれず、
それによって得られるであろう成果品にばかり目を奪われていたように思います。
その辺の視点を変えたらもう少しモチベをコントロールできるんですかね……。

まぁ、人目もある仕事場でこれを実践するのもなかなか難しいとは思いますが。
ともあれ集中力の引き出し方について、もう少し考え方を改めてみたい今日この頃です。

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